星野源が教えてくれた7つの事:クリストファー・ノーランとの共通点②
星野 源「ばかのうた」「エピソード」を聴き続けて、クリストファー・ノーランとの表現の共通点から、私が勝手に学んだ7つの事を語る後半です。
5.怒りの先を歌う「バイト」「ばかのうた」(「ダークナイト」怒りの先の世界を表現)
※()内は、クリストファー・ノーランとの共通点。
私が特に星野 源とクリストファー・ノーランとの共通点を感じるのは「フォロイング」「メメント」「バッドマン」シリーズ。特に「ダークナイト」のジョーカーとバッドマン。
正義と悪の二元論の戦いから脱却し、その先の世界を描く。
アメリカの9・11から、単純な正義が信用できなくなり、ヒーロー像は変わる。特に「ダークナイト」の社会のシステムの構造を揺さぶるジョーカーとそのシステムの中にがっつりハマっているバッドマンの葛藤はアメリカの現実を反映していて面白い。ノーランのジョーカーは悪の振りしたクールな思想家。星野 源も変態の振りしたクールな思想家。
囚人も一般人もマフィアも警察も、正義の味方も悪のキャラクターもみんな「ばらばら」。「ばらばら」で関係しあい、憎み合い、排除する事を考える。しかしどちらも人間「自分の愛する人のために」は、自分たちのエゴでしかなく、正義が単なる一方的なエゴである事が明らかになる。
「ばらばら」の人間が「ばらばら」を肯定し、両者が人として生き残るためには何が必要か?立ち止まって、考えさせられる。
その視点で「バイト」を聴くと、殺意の先の世界が想像できて、考えさせられる。
「殺したい」人も「長生きしてほしい」人も、人は人の数だけ持っている。それが重なり合って生きている。「ばらばら」の殺意の先…。
自分の「殺してやりたい」と思う人が、他の誰かの「長生きしてほしい」と思う人と重なる。
〈間奏〉でちょっと考える。日々の暮らしの事。簡単な問題ではないけれど、とりあえず感情的になった事を後悔する。
〈間奏〉と「うーんちょっとごめんね」
簡単な言葉を投げかけられ、心に波紋が広がる。それだけで心の荒波は静かになる。立ち止まって考える。冷静になって考える時間。
それをメディアや権力が奪い、大衆の感情をコントロールする。
Twitterの炎上も、誹謗中傷も、人はたやすくコントロールされる。
「ばかのうた」
この曲は「怒り」とは関係なく聞いていたけれど、エッセイ「働く男」の中で、2005年の自主制作盤の「ばかのうた」について星野 源は、
1995年1月17日5時46分、寝ていた背中を下から突き上げるように家が揺れた。地球が生き物で、まるで巨大な恐竜の背中の上に、住んでいた事を実感した。あの時、今までの考え方や価値観がぐらぐらと崩れた。
だから「ばかのうた」は、私は勝手に震災の曲だと思っていた。
星野 源にとって「当時の怒りをぶつけた生々しい歌詞」だったとは?
もっと何か根底から崩壊させる不条理な力に対する怒りだったのかもしれない。その「不条理な力」に対する自分の怒りを「我々の住む世界はぐらぐらで不条理」という基本設定に変え、そこで小さなことは気にしない。
ばかとして生き抜く決心をしている歌のように思う。
曲の最後の歌詞は…。
6.時代を超えて横に広がる音楽「湯気」「穴を掘る」「ただいま」(時代を超えサイレント映画の醍醐味を取り入れた映画)
星野源の歌は繊細に注意深く日常や人間を観察して、たとえば一つの事物「茶碗」「湯気」「布団」「ストーブ」から多様な記憶と想像を紡ぎ出す。
彼にとって「くだらない事」は「くだらない事」。そこから面白さの原石を掘り出し、見方を変え、拡大し、複数の意味を重ね、磨き上げる。
そこから生まれた歌詞は、シンプルなのに複雑な深みが出る。
下の文は初の星野 源のエッセイ集「そして生活はつづく」の文庫版あとがき、私はこの文章を大切にしている。
星野 源が20歳の頃作った「穴を掘る」。この曲は自宅の庭で穴を掘ると、憧れの島に着いたり、穴から空に転げ落ちて、知らない所に行ったり…。
長 新太の絵本のような不条理が当たり前で、なおかつユーモラスに展開する世界。ただただ楽しい。
サウンド的には、師と仰ぐ細野晴臣「泰安洋行」(細野晴臣がマリンバやスティールドラムの楽器など全て担当 )のような、日本から北太平洋を渡り、ハワイからニューオリンズに進むような明るい曲調、本人の解説によると…。
アルバムの次の曲「ただいま」は作曲:細野晴臣、作詞:星野 源の共作。細野晴臣の音楽は普遍的でずっと聴いている。
そして、いつ聴いても新しい。
「はっぴいえんど」「風街ろまん」から「HOSONO HOUSE」「トロピカル・ダンディ」「泰安洋行」「はらいそ」「omni Sight Seeing」「PARADISE VIEW」「銀河鉄道の夜」「HosoNoVa」まで何度も何度も聴いた。
「ばかのうた」「エピソード」は私にとっての「HOSHINO HOUSE」のように、何度も何度も聴くアルバムだと気付く。
二人の気楽な対談「地平線の相談」から、
細野晴臣と星野 源のここでの話を簡単に説明すると、音楽の時代の大きな流行の波はもうなくなって、それぞれの個人が面白い事をやり続ける中にしかない。
そのために古い音楽や、様々な国の音楽の中に、自分の面白いを発見し、取り入れて、作り変えていく。
他国の音楽を勝手に取り入れる事は、ルーツのないニセモノだけど、ニセモノの中の本物を目指す。星野 源の発言を引用する。
このアルバムには、星野 源がブラックミュージック、ソウル、R&Bを取り入れた「湯気」が入っている。
日本人である私たちにブラックミュージックのルーツはない。日本人がブラックミュージックを演奏する事はニセモノ。だけどニセモノと本物の枠を超えて「ものづくり地獄」の中で、自分自身が納得する本物をつくる。
様々な音楽を自由自在に取り入れ、ミックスして新しい音楽を作る本物になる。
「湯気」はその始まりの曲。皆さんが知っているように、ここから星野 源の音楽はさらに大きく飛躍し開花する。
クリストファー・ノーランも、映画の始まりリュミエール兄弟の「列車の到着」に立ち返り、映画は「見る」ものでなく「体験」するものという映画の本質を追求し、今はなくなったサイレント映画の醍醐味を取り入れ、フィルム撮影にこだわり、CGより本物にこだわり、新しい世界観を作り出し、今までに見た事のない映画を生み出す。
7.人生は地獄、人生は喜劇「未来」「喜劇」(地獄めぐりの先の愛の物語:クリストファー・ノーラン)
「ばかのうた」の世界を、もっと洗練させ、POPにしたのが「エピソード」星野 源の言葉によると
「未来」は星野 源が東日本大震災、二日後に作った曲。この曲も聴くと、なぜか泣きそうになる。
なぜ星野 源の歌は何度も時間軸を操り、時代を超えて行くのか?
それはこの曲の「未来」を「新しい時代(トレンド)」に変えてみると少しわかる。今日も生まれる新しい時代(トレンド)
新しい時代(トレンド)に追い越され、新しい時代(トレンド)に取り残され、今日が冷えていく。何ものでもないものが起き上がり、小さな勇気を使い、新しい時代(トレンド)に合わせて、空っぽになる心。地獄のような現実。
そこからどうやって自分を音楽を立て直すのか?時代(トレンド)を超え、現実を超え、自分の大切なモノ、大切な心に響く音楽、記憶の中の音楽、「大切な表現したいモノ」を探す。
大事なのは、時代(トレンド)の中ではなく、自分の中にある。
それがあなたの心に響く音楽。心と心が響き合う事。そしてそれこそが、新しい「未来」を作る。
星野 源のシンプルなのに難解な歌詞。明るい歌、暗い歌、さらりと歌っているのに、中には前衛的で実験的なのに、泣いてしまう歌の秘密は、ここにあった。大切なモノは心の奥にあり、星野 源の歌はそれをそっと引き出してくれる。
「Cube」の星野 源のMVを見て感じた事を元に「ばかのうた」「エピソード」の曲の魅力を語ったこの記事。
最後は、新しい曲「喜劇」で終わる。
星野 源の芯にあるものはずっと変わらず、形態は常に進化し続ける変態。芯にあるのは「人生は地獄、人生は喜劇、だから面白い」
それまでのカッコイイ、おしゃれ路線(それはそれで好きだが)のMVとは違う、この「喜劇」のパペットと戯れる星野 源のMVは「ばかのうた」「エピソード」のような世界観が、力強くPOPになって戻ってきたような気がしてうれしい。
やはりいつまでたっても、星野 源はわからない。わからないから面白い。