「初心忘るべからず」のやり方
「物事に慣れてくると、慢心してしまいがちであるが、はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない」
これが一般的な意味だろう。
また、本来の意味は少し異なるものである。
これは世阿弥の書「花鏡」の結びとして登場する。
「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし」
ここでの「初心」とは「芸の未熟さ、初心の頃のみっともなさ」
のことである。
あのみじめな状態には戻りたくないと思うことでさらに精進できるのだという意味であるそう。
どちらであったとしても、私たちはいつか初心を忘れてしまいがちであると私は考えている。
これが原因で上手くいかないことや、壊れてしまった関係などあるだろう。
僕も例外ではない。
では、なぜ初心を忘れてしまうのか。
まさに最初の意味にも書いてある通り、
「慣れ」
である。
これが全ての原因であると言っても過言ではない。
私の具体例を挙げる。
私のアルバイト先である飲食店は基本的に賄いがない。
けれど私が学生であることから特別に用意してもらっていた。
また、自宅とアルバイト先が遠いことから月1回の出勤であった。
最初の頃は、この普通ではない特別扱いに有難さを感じていたが、徐々にそれらがなくなっていった。
月1回が当たり前であり、賄いが出ることも当たり前。
そう感じてくると行動にも変化がある。
その変化から私とアルバイト先の関係は心地の良いものではなくなってしまった。
そうすれば行きたくもなくなるし、やる気も落ちる。
ではなぜこのようになってしまったのか。
それは、「感謝」を忘れてしまったからである。
これはかなり大事である。
感謝こそ初心を思い出す方法である。
感謝はどのタイミングでもできる。
賄い、ご馳走してもらったそのときはもちろん。
自分が誰かにごはんを奢った時、親切にしたとき、物事が上手く進んだときなどなど。
そんなとき、いまの自分が自分で在れるのはこれまで出会ってきた人たちがいるからだ。
その人たちに感謝する。
ありがとうと。
そうすると、あの時のあの人は元気だろうか。
いまどうしているだろうか。
そうしてその人のことを思い出す。
実際に会いに行って感謝を伝えるもよし。
誰かにこんなことがあったと伝えるもよし。
思い出した後に誰かしらに伝えることが重要であるとも考える。
もしも、すぐに伝えられないというのであれば、SNSに書き込むでもいい。
noteに書くでもいい。
僕はこれだ。
書くことでこれを読んだ人に共有することができる。
書いたことで整理され、友達に伝えることもできるだろう。
これを読んだ人が初心を忘れることなく、感謝することは自分を謙虚でいさせてくれる魔法の言葉であることを伝えらえたのなら嬉しい。
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