Them Belly Fullに関するあれこれ
生きるために踊る
苦しい状況にある人たちにこんな風に踊ろうぜと呼びかけた曲は前代未聞じゃないでしょうか?
自分が直面しているさまざまな苦難をすべて忘れて(ひとまず傍らに置いて)Jahの音楽にあわせてダンスするんだと促しています。
苦しんでいる人に向かって「踊ろうぜ」って呼びかけること自体ビックリですが、同時にJahの音楽っていったい何やねん?って思いますよね。
Island Recordsから世界デビューしてから、ボブが自分の音楽をJahの音楽だと言い切ったのは、このナンバーが最初だと思います。
という訳で今回はJahについて少しだけ書いてみます。
Jahの語源
ジャマイカは英語圏なのでラスタの人たちは英語式で「ジャー」と発音しますが、Jahはユダヤ教やキリスト教の全知全能で唯一の神の名前Yahweh(ヤハウェ)の前半部分Yahのことです。
主の名前を全部言わずに省略形で呼んでいるわけです。
神の名をみだりに呼んではいけないという旧約聖書出エジプト記(Exodus)に記されているTen Commandments(モーセの十戒)に従っているんだと思います。
キリスト教にはhallelujah(ハレルヤ)という合言葉みたいなのがありますが、スペルのラスト三文字にご注目ください。Jahです。
前半部のhallelは「賛美」という意味のヘブライ語だと言われています。HallelにjahをつなげたHallelujahで「神を賛美しよう」という意味です。
ちなみにボブも曲にhallelujahを入れてます。例えばこの曲の出だしのコーラスがそうです。
賛美する音楽
というわけで、ボブたちが演奏する音楽は、神さま=Jahに関する音楽、もっと正確に言うとJahに導かれ、Jahに捧げた音楽なわけです。
そんなレゲエのサブジャンルを一般にRoots Reggae(ルーツレゲエ)と呼んでいます。
徹底的にJahにフォーカスした音楽、それがルーツレゲエです。
ジャマイカとラスタファリが生みだした「もうひとつのゴスペル」です。
いくつか例を貼っておきます。
もう少しだけJahについて書きます。
コンサートでの儀式
リアルタイムでボブを覚えている人、あるいはDVDとかYouTubeでたくさんコンサート動画を観た人ならご存知だと思いますが、Peter Tosh とBunny Wailerの離脱を経てボブ・マーリー&ウエイラーズという形で再出発して以降、ボブは必ずコンサート中にラスタの「儀式」のようなスペシャルな時間を設けました。
そして、そこでこう高らかに宣言しました(毎回少しづつ内容は変化しましたが、基本形はこんな感じです)。
ボブ以前にコンサートでこんなことを叫ぶ人は皆無でした。空前絶後、ものすごく宗教色が強いアーティストだったわけです。
そんなあり方について行けず、曲は好きだけど、コンサートにかけつけるような熱心なファンにはなれない人が大勢いました。
無宗教な家で育った高校時代の<ないんまいるず>もボブに近寄りがたい「得体の知れなさ」と「距離」を感じていたひとりです。
歌詞に込められたメッセージを理解するのに必要な英語のリスニング能力も人生経験も持ちあわせてなかったんで、視覚的イメージとマスメディアの取り上げ方だけを判断材料に「危ないところにいってしもてるヤバい人」やな~と思ってました。
人間変わるもんです(笑)。
と言うより、ボブによって変えられたひとりなのかもしれません。
言葉が持つパワー
彼が書いた歌詞にはそのぐらいの重みとパワーがあります。
途中から自分の話になってしまいましたが、言いたかったのは、心と耳をオープンにして聴けばボブの言葉は自分に返ってくるということです。
ボブの声と歌詞は「お前はどうなんだ?」「君はどうするんだ?」と絶えず問いかけてきます。
簡単には消えないずっしりとした何かをこころに残す、彼が書いた歌詞にはそんなパワーが宿っています。
この曲なんか典型的だと思います。曲をかけながらじっくりとボブの言葉を味わってみてください。ご参考までに拙訳を下につけておきます。
「隅の親石」って何やねん?って思われる方はこちらの牧師さんによる解き明かしをどうぞ。
「言葉の意味はすぐにわからなくてもいい。長い人生のプロセスのなかで、ふと意味の分かる瞬間が訪れればいい」
斎藤孝さんが著書にそう書かれているそうです。ボブの歌詞もまさしくそんな言葉です。
それじゃ今回はこのへんで~