Small Axeに関するあれこれ
小さな斧
1971年にLee "Scratch" PerryのUpsetterレーベルからこの曲がリリースされた時、歌詞を聞いたジャマイカ中の音楽ファンは即座に自国の音楽産業を長年支配してきた3大レコード会社(Studio One, Treasure Isle, Federal)を連想しました。
彼らにはこう聞こえたわけです。
一方、ジャマイカ国外では、この曲の歌詞は、弱者による断固とした行動が世界に変化をもたらすという風に解釈されました。
自分たちの権利のために立ち上がり、抑圧者と闘おうと抑圧され疎外された人たちに呼びかけるナンバーだという解釈です。
曲の解釈としては、こっちの方が普遍的でしっくりときますね。
ソングタイトルSmall Axeは、抑圧する者との闘いの隠喩表現です。たとえ規模はささやかでも断固とした抵抗を象徴しています。
最初は取るに足らない行動のように見えても、時間が経つにつれて変化を生む大きな力に育っていく可能性がある、詩的な曲タイトルに込められているのはそういった希望や願いです。
聖書の教え
知らない人が多いですが、このメッセージは、明らかに聖書に触発されたものです。
旧約聖書(Old Testament)のエゼキエル書(Ezekiel)17章24節には、こう記されています。
この一節は、神によって強いものが弱くなり、弱いものが強くなるという大転換のメッセージを伝えています。ボブはこの一節を深くこころにとめてSmall Axeを作詞したとも言われています。
実際、ボブは歌詞の中で旧約聖書に収められた「詩編」(Psalms)から言葉を引用して、少しだけアレンジを加えて使っています。
例えば冒頭のこの部分。
引用元の詩編52:3の言葉はこうです。
ほとんど一緒ですね。
聖書を引用して、ボブは最終的には正義が勝つんだという信念を伝えています。
キリスト教徒が人口の1%弱の日本の多くのリスナーにはピンとこないと思いますが、聖書からの引用はこの聖典に親しんだ地球上何億もの人たちの共感を呼ぶとてつもないパワーを秘めています。
逆転のストーリー
小さき者、弱いと考えられていた者が、大きな者、強いと思われていた者に打ち勝つ。この「逆転のストーリー」は聖書で繰り返し語られているものです。
ダビデ(David)が石ひとつで巨人ゴリアテ(Goliath)を打ち負かした物語も、モーセ(Moses)が神の力を借りてファラオ(Pharaoh)を打ち負かし、自由を勝ち取った逸話もメッセージは同じです。
ダビデは 勝ち目がないと思われていた強大な敵に立ち向かって勝利を収めた弱者のヒーローです。
彼のストーリーは、自分たちが弱い立場にいると感じる人たちに勇気を与え、困難に立ち向かうよう鼓舞します。
一方、モーセはエジプト王ファラオに対し、ヘブライ人を奴隷状態から解放するよう求めました。
モーセは被支配層の一員であり、弱者でしたが、神の力で強大なファラオを打ち負かし、自由を勝ち取ります。
こうした物語はたとえ弱い立場にいても神の偉大な力を借りればどんなに強い相手にも立ち向かうことができること教えています。
ラスタについて
Small AxeはボブがRastafari(ラスタファリ)になってから書いた最初の曲のひとつです。これもあまり知られていないと思います。
熱心なRasta(ラスタ)だったボブの音楽は、ラスタの信条や思想を映す鏡です。
ボブは音楽を通じてラスタファリが信じる聖書の教え、アフリカ系の人たちの誇りやルーツや人間としての価値などを伝え、抑圧されてきた人たちを鼓舞し、力づけることを目指していました。
ラスタについては、2曲後の「Rastman Chantに関するあれこれ」の中でまとめて紹介する予定です。
これまでの記事と比べてずいぶん硬い内容になってしまいましたが、聖書はどれだけ語っても語り尽くせないぐらい重要なボブの詞のベースです。
たとえ深い部分まで理解できなくても、彼が伝えようとしていたことが聖書に書かれている、元々そこに記されていた数百年の時を超えて語り継がれてきた普遍的なメッセージが日々ボブを触発し、曲作りに向かわせていたんだと知ることは、彼の歌詞を理解しようとする上で絶対に欠かせないと思います。
最期に検索中に見つけた「何時間でもつかっていられる熱すぎない温泉」みたいなほんわかしたバージョンをひとつ貼っておきます。ここまで読んでだいぶ肩が凝った方はリラックス用にどうぞ。
それじゃ今回はこのへんで~