人生にオプションを付けていこう。
寝たのに、頭が冴えてきて寝れなくなった3.7です。
# 挨拶文を楽しもう
オプションとは、車で言うなれば、リアシートを革製にしたり。装備品を追加すること。
スマホで言うなら、電話かけ放題に入るとか
兎にも角にも、生活の豊かさにつながる。生活の質の向上とも言えるかもしれない。
この文章を書いているのは22:35分寝てたのに、頭に浮かんでしまったからスマホを片手に突然打ち始めた。
浮かんだら寝てはいられない、これは、
なんのはなしですか
人生に意味を探すことは、それはやめておこう。なぜなら、逆なんだ。つまり、人生に意味を付すのが私たちの役割なのだ。
人生に問われているのは我々の方なのだと言うこと。
先日Keiさんも人生にそれでもYESと言おうに関連する記事を二つも出してくださった。
そう、ナチス政権下で、ユダヤ人強制収容所に収容された、唯一の精神科医V.E.フランクル
究極の選択を迫られた、ガス室か強制労働か。
あなただったらどちらを選ぶか?聞かれたらどちらを選ぶか?
どちらも嫌だ、でも、生きるには強制労働を選ぶしかなかった。
実際は選択の余地なく囚人は振り分けられた。
それでも、生きていられたのだからマシだと考えるには浅はかだ。
人々は絶望した。絶望した人々は体調を崩し病気になり死んでいった。
そこで、わたしは思った。絶望すると病気になるのだと。そうか、どんなに究極の状況でも、絶望すると人間は弱っていくんだ。そして私は絶望しやすかったから。
24歳で生きてる意味がわからなくて心理学など模索しまくっていた時にこのフランクルの考えに出会った。
彼は牢獄から出る希望を失わなかった。執筆途中の論文があったから。自分がこの収容所で学び得た経験を必ず本にすると決めていたから。
同じように、希望を持っている囚人は生きていられた。特に自分を待ってくれている家族がいる人々はその気持ちが希望になったようだ。
しかし、クリスマスには出られるとか噂が流れたりして、その期待を抱いていた囚人はそれが夢物語だったと気づいた時、次第に具合が悪くなり死んでいった。絶望してしまったのだろう。
人はなんと弱いものだ。絶望は人を殺すのだ。
我々は人生に問われている、何があっても、自分の人生に絶望してはいけない。
オプションを付けてあげて欲しい。
生きるための、オプションを。
この記事の内容はV.E.フランクル著「夜と霧」から私個人の意見感想を述べています。この本全部読んだわけではなくて、NHKの特集YouTubeなども観て参考にしています。
ここからは追記だけど、
3年間noteの路地裏で#なんのはなしですかとタグづけに翻弄していたコニシ木の子さんも人生に意味を持たせておられたのだと思った。そして多くのnoter達に希望を持たせてくれた。それぞれが自分なりのハナシを作りここに存在してていいのだと思いを得たと思う。
蒔倉みのむしさんも、コニシさんの活動を真似ているとはいえ、みのむしさんならではの方法で路地裏を賑やかにしてくれてる。
蒼広樹さんも挨拶文という独特の表現でnote界を笑顔にしてくれてる。
人ぞれぞれに持っているオプション、もしくはこれから見出せるオプションで、自分の人生と周りの誰かに絶望ではなく、生きるバトンを渡して欲しいと切に願う。
内容に何か間違いがあったらすみません^_^
その時は優しく教えてね。
ちょー真面目な話書いたからこれ大丈夫かな。寝れなくなった。目冴えちゃった。きっかけくださったKeiさんありがとうございました♪