50号がレフトに入った2つの理由かも
昨日大谷翔平選手が
前人未到の「50-50」を決め
さらに「51-51」まで記録を伸ばしました。
その記念すべき50号ホームラン。
ボールがレフトスタンドに入った瞬間
大谷選手の少年野球時代を思い出しました。
その時代の練習場のことです。
ライト側後方すぐに川が流れていて
大谷選手がホームランを打つたびに
そのボールが川まで行ってしまい
ボールが流されなくなっていきました。
それを見かねた指導者が
「右方向への引っ張り禁止令」
(ライト方向へ打つのを禁止する)
を出したました。
その禁止令を受けたことで
レフト側にボールを飛ばす技術を身につけた
とのことです。
だからこそのあの打球なんです。
少年野球から練習を続けた賜物なんです。
そしてもう一つの理由は
昨日「報道ステーション」に出演された
前WBCジャパン監督だった栗山さんが言ったこと。
翔平にとってあの球場のブルペンは特別な場所。
それは2023年のWBC決勝の後半。
野球人生で最も緊張する時間を
あのブルペンで過ごしたんだと。
だからあそこに50号をぶち込みたかった
そうなんじゃないかなぁと。
なるほどぉ〜。
あのシーンは覚えています。
あのブルペンから
ラストの感動的なラストシーンが
生まれたんです!
この2つの物語があったからこそ
想いの詰まった記念すべき50号は
レフトに飛んで行った
ということです。
やはりこの男は
持っています!
肘の手術をしたその1年後。
その手をしたことで生まれた記録。
全てを物語に変えていきます。
大谷翔平選手
おめでとうございます!!