石原繁野さんの青春
「視点」でもなんどか紹介させてもらった糸賀一雄さんの「私塾」としてスタートした滋賀のあざみ寮。その施設長をされた石原繁野さんが6月9日に亡くなられた。
繁野さんは昭和12年(1937年)岡山生まれ。昭和31年(1956年)に、滋賀県・大津に開設されたあざみ寮(糸賀房ふさ・初代寮長)と出会い、知的障害のある女子寮生たちと共に生きられた。ペルーを訪ね、チャイカイ文化の織物に学んだ「あざみ織(むすび織り)」を寮生のしごととして発展させた。
わたしたち夫婦は、「あざみ織」を結婚式の記念品にしたいと、石部に移ったあざみ寮を訪ね、繁野さんのお宅に一晩泊まらせていただき、寮生のみなさんのたくさんの話をうかがった。この10年ほどは、春になるとお宅を訪問して、美味しいご飯を頬張りながらの語り合いが楽しみでした。「もうちょっと若かったらいっしょに北欧行きたかったわ」。ほんとにそうでしたね。
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近江学園創設者の糸賀一雄さん、糸賀さんと研究活動にとりくんだ田中昌人さん(全国障害者問題研究会初代委員長)を敬愛していた繁野さんから聴く発達保障の真髄に迫る実践や寮生のみなさんの姿は興味深く、時間を忘れるほどでした。
昨年、張貞京さん(京都文教短期大学)著『高齢期を生きる障害のある人』(全障研出版部)の編集でも張さんと繁野さんのインタビューに同席しました。
「糸賀先生から、(アルバイトしていた)あざみ寮に残ったらいかがですかって言われて嬉しくて働きはじめたの」「糸賀先生のところには、いろんな研究者や芸術家が集まってたの」 「織物をはじめるのと同時ぐらいに田中先生が(発達研究に)関わってくれたからよかったね。何かいろんな発想が生まれてきた。そこからいろんな展開につながっていった」「楽しんでたんですね。仕事は楽しくないとあかんよね」。
糸賀一雄著『福祉の道行-生命の輝く子どもたち』(中川書店)は、糸賀さんが新書判の本を出したいと書きためた原稿を田中さんらが整理され2013年に刊行された。第四章「子どもたちの心の中に社会を織る」は繁野さんの実践研究だ。
「役割をはたすということは、集団生活のなかでないとできないことである」「暮らしのなかに素朴な実用に耐える芸術を生み出すのである。そういう生産者として、あざみ寮の娘たちはふさわしいのではあるまいか」「どんな障害をもっていても、“人と生まれ人となっていく”のであって、その道行きは万人に共通であるという根本的な理念である」。糸賀さんの言葉だ。
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寮生のことを語りはじめたら話は終わらない。
楽しかったこと、おもしろかったこと、感動したこと、涙がでたこと、織物のしごとも、みんなでとりくむ寮生劇も、東大寺への「死ぬことは怖くない」を知る学びの旅も、なかまの看取りのことも、みんなみんな繁野さんの人生そのものだった。
コロナの影響で、退職後も出かけていたあざみ寮の訪問も、寮生たちの繁野さんのお宅訪問もできなくなって数年。そんななかでの在宅療養生活で、最後の頃は、みんながかわるがわるお宅を訪ねた。主治医も「この家はいいですね。みなさんの声が聞こえて」と言っておられたという。
住まいだけでない「暮らしの場」「働く場」「余暇の場」、そしてこころ許せる仲間がいること。日本におけるノーマライゼーションとインクルージョンのとりくみ、安心できる暮らしの総合的な環境づくりの重いバトンはリレーされる。