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映画グラン・トリノでアメリカ🇺🇸の多様性を学ぶ

映画『グラン・トリノ』は、当時のアメリカの多様性と、それが引き起こす人間関係の葛藤を描いた作品です。

クリント・イーストウッドが演じる主人公ウォルトは、典型的なアメリカの白人労働者世代の男性で、家族に対しては不器用な愛情しか示せない孤独な老人。
彼の姿には、時代を背負ってきた男性の哀愁と不器用さが漂い、そんな彼が少しずつ変化していく姿が感動を呼びます。

ウォルトは戦争を経験し、偏見や心の傷を抱えたまま生きているが、皮肉なことに、隣人であるアジア系の家族との交流を通じて心を開いていきます。

家族と疎遠になっている彼が、本当の家族よりも隣人たちと深い絆を築くのは、彼らがウォルトを理解し、尊敬してくれるからです。

家族とは疎遠でも、他者との絆を通じて孤独が埋められるというのは、現代でも通じる普遍的なテーマです。

映画『グラン・トリノ』で印象的なのは、スーというキャラクターが自分のアイデンティティに誇りを持ち、不良たちにからかわれても負けずにジョークで返す姿勢です。

彼女は、周囲の偏見やからかいを冷静に受け流し、ユーモアを使って相手の攻撃をかわすという強さを持っています。
スーのこの態度は、アメリカ社会における人種的な葛藤を反映していますが、彼女自身がそれを受け入れ、上手く対処することで、自らの強さを証明しています。

彼女がジョークで返すシーンは、単なる笑いを生むためのものではなく、彼女の賢さと自己肯定感を示す重要な場面です。
彼女は、暴力や差別に対して直接的に対立するのではなく、言葉の力を使って、相手の攻撃を無効化しています。
この姿勢は、ウォルトにも影響を与え、彼がスーを尊敬するきっかけとなります。

スーのこうした強さがあったからこそ、後半で彼女が暴力を受けた時、その衝撃はより大きく感じられます。

普段は明るく、屈しない彼女が傷つけられたことで、ウォルトだけでなく観客も彼女の痛みに共感し、彼女を守ろうとするウォルトの決意が強調されるのです。

このシーンを通じて、スーは単なる被害者ではなく、逆境にも自らの誇りを持って立ち向かう強い女性像として描かれています。
それが彼女とウォルトの絆を深め、物語に感動的な深みを与えているのです。

ウォルトは朝鮮戦争の退役軍人で、アジア系の人々に対して根強い偏見を抱いています。隣に住むモン族の家族に対しても、当初は疑念と距離感を持ち、無礼な態度を取っていました。しかし、物語が進むにつれて、彼は隣人たちの本質に触れ、少しずつ心を開いていきます。

特に、隣人であるスーやタオとの交流は、ウォルトの人間性を変える大きなきっかけとなります。

スーの明るさやタオの素直さに触れることで、ウォルトはかつての戦争での経験からくるアジア人に対する固定観念を打ち破り、彼らを一人の人間として尊重するようになります。

ウォルトが隣人たちと心を通わせ、彼らを守ろうとする姿は、人種や文化の違いを超えて真の絆を築くことができるという希望を象徴しています。

ウォルトがかつての敵であったアジア人と友好関係を築くまでの変化は、彼自身の成長を示すと同時に、観客にも多様性や異なる背景を持つ人々との共感や理解の重要さを強く訴えかけています。
彼の偏見が溶け、他者との絆が生まれるプロセスは、この映画の核心であり、社会的なメッセージとしても深い意味を持っています。

まさに多様性を謳われる現代にマッチした映画だと思いました。

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