「かまってちゃんと代理ミュンヒハウゼン症候群:注目されたい心の裏側」
注目されたい、誰かに自分の存在を認めてほしいという感情は、人間なら誰しも少なからず抱くものだ。
誰かが自分を見ているという安心感は、時に心のバランスを保つために必要なものだから。
それでも、現代のSNSやネットの世界では、その「かまってほしい」という欲求が肥大化してしまうことがある。
いわゆる「かまってちゃん」と呼ばれる人たちは、その代表例だ。
かまってちゃんは、自分の存在を他者に示したくて仕方がない。
寂しい、承認されたいという感情が根底にある。少し過剰な振る舞い、時にはわざとネガティブな投稿をして、周囲の反応を得ようとする。
みんなが一度は目にしたことがあるだろうし、たぶん僕たちの周りにもいるだろう。「大丈夫?」なんて声をかけてもらうことで、ちょっとだけ救われた気持ちになるんだろう。
でも、それは一時的なもので、根本的な解決にはならない。だから、また同じことを繰り返す。
ここで、ふと思い出したのが「代理ミュンヒハウゼン症候群」という、少し聞き慣れない言葉だ。
名前だけ聞くと、まるでどこかの童話に出てきそうだが、実際にはかなり深刻な問題だ。
この病気は、他者の体調や健康を装って、その人を介して自分が注目を浴びようとするもの。多くの場合、親が子供を使って「うちの子はこんなにも病気なんです」と訴える。
子供を守るべき親が、その子を道具のように扱う、信じられないような行為だ。でも、ここにも「注目を集めたい」という動機がある。
かまってちゃんと代理ミュンヒハウゼン症候群。
形は違うけれど、どちらも「自分を見てほしい」という共通の欲求が動機になっている。もちろん、かまってちゃんは日常的なもので、時には微笑ましいとすら思える。
でも、代理ミュンヒハウゼン症候群は違う。これは精神的な病であり、他者を犠牲にすることで自分が注目を浴びようとする危険な行為だ。
どちらの行動も、「誰かに見られていたい」「自分の存在を確かめたい」という根源的な欲望が引き金になっている。
僕たちは、たぶん誰でも少しはその感情を持っている。問題は、その欲望がどこまで大きくなるか、そしてそれをどのように満たそうとするかだ。
ネットの世界では、誰かに見られることが簡単になった。
いいねやコメントの数が、まるで自分の価値を測る指標のように感じてしまうこともある。
でも、そんなものに左右されることなく、自分自身の価値を見つけられるようにならなければ、きっと本当の意味での「安心感」は得られないんだろう。
かまってちゃんの姿を見かけるたびに、僕は思う。大事なのは、誰かに見られることじゃない。
自分で自分をしっかり見つめ、認めてあげることだって。
そうすれば、きっと心のバランスは少しずつ整ってくるはずだ。そう信じたい。