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ムロツヨシさんが40年ぶりに母親と会った話を聞いて思い出す

どうも~ きーでーす。

ムロツヨシさんが所在不明の母親と40年ぶりに再会した話をテレビ(『さんまのまんま』内)で話された。テレビを見ていた母親から会いたいと連絡があったため、悩んだ結果、会うことにしたそうだ。

ムロは「ずっとお会いしなくてもいいと思っていた」としながら、リリー・フランキーから「会わない後悔より、会う後悔。行ってきなさい」と言われて再会を決意。

だが彼は「産んでくれてありがとうございます」
「恨んでいないし、この家庭環境のお陰で役者にもなれた」と謝意を伝えたそう。
(「エンタメRBB」からの引用)

お母さんとは呼ばなかったそうだが、そりゃそうだろと思った。産んだかもしれないけど、なんの絆もないんだから。と思う理由は、私も似た経験をしたからだった。

私の場合は、30年ぶりに生物学上だけの父親に再開した。私が1歳の時に離婚したので、会った記憶すらなかった。顔写真もしっかり見たことがなかったのだが、薄ぼんやりと記憶に残っていた。

隠すくらいなら捨てろ

昭和の家には押入れがあり、押し入れの上には天袋がある。天袋とは天井と押入れの隙間につくった作り付けの小戸棚といった感じだ。天袋の天井部分には隠し天井があった。天井の一部分を上に押すと屋根裏に通じる。そこに生物学上の両親の結婚写真が隠してあったのだ。

お宝を隠すのではなく、「隠したい過去」を誰かが隠したらしい。(後々誰が隠したかはわかるけど)だったら捨てろや。ほんとにどうでもいいものを隠すなと思った。

ある日、天袋を整理していると隠し天井に物が入っているのが見えた。近くにいた生物学上の母親に声をかけると、好奇心旺盛な性格から目を輝かせて近づいてきた。彼女自ら腕を突っ込んで、埃だらけの箱を取り出してくれた。

どうでもいい箱

二人でわくわくしながら箱を開けると古い写真ばかりだ。主に彼女の1回目の結婚式の集合写真だった。とたんにめそめそとジメジメと泣きながら、写真をゆっくり破り始めた。何か言ってたけど忘れた。あそうだ。
彼女「お母さん、なんでこんなの取っておくのよぉ~」とか言ってたっけ?

じめじめした空気が嫌いな私は、思わず「はぁ~っ」とため息が出そうだった。が、ため息をつくとさらに空気が重苦しそうだったので飲み込んだ。彼女は感情の起伏が激しい。だから私は素直に気持ちを表すことを抑え込む癖がついていた。彼女の感情の受け皿役になるのが面倒だと思ったのだ。

とにかくその時、初めてしっかりめに花婿の顔を見た。「この人が生物学上の父親なんだ~、え?ほんとに実在するの?」という軽い感じの感想。私の幼少期の記憶は幸せで満ち足りていたので、わざわざ一瞬だけ父親業をしていた?(かどうかも不明だが)人に会いたいと思ったことは一度もなかった。だから写真を見ても正直ピンとこなかったし、他人事のように感じた。

転機

20歳を過ぎたころ、育ての母親(20歳まで知らなかったので、私にとっては唯一無二の本物の母親でしかない)が他界した。母が生きているうちに、ドラマでよくある陳腐な設定が自分の人生にも起こりえると直接聞かせてもらってよかった。

母が亡くなったのを境に、安心感に包まれていた私の人生に転機が訪れた。生みの母親との関係でけっこう苦しむ日々が始まったのだ。彼女との関係は楽しいこともあるが、定期的に精神的に追い詰められるような苦しい出来事もあった。両極端の出来事をなんとか結びつけようとしては、頭の中が混乱した。今思えば、結びつける必要なんてなかったけど。

彼女が2回目の結婚をする時まで、生まれてからずっと一緒に住んでいた。結婚して新たな人生のパートナーができると、豹変する人が多い気がする。周りから見てやっかいだなと感じる性格の部分が強化される気がする。結婚して戻る場所を得た安心なのか、良くも悪くも自信がつくようだ。結婚相手はお互いの写し鏡とよく聞くが、はた目から見て嫌な部分も似ているからタッグを組んで相手を攻撃してくるところがある。

無意識かもしれないが、夫婦でよく攻撃された。「心配だからとか、あなたのためを思って」が大義名分とでも言うかのように、生物学上の親なら何をしてもいいと思っていたようだ。怖い。ブリトニースピアーズの父親はその最上位か?(早くブリトニーが自由になれますように!)

答え合わせ

会いたいと思ったことはなかったのだが、30歳になったときにあることがきっかけで会うことにした。

生物学上の父親の名前は、戸籍謄本にばっちり載っていた。それをネットで検索したらすぐに所在がわかった。当時、私立高校の校長先生を務めていたので、簡単に名前と顔写真が出てきた。

なので校長室あてに手紙を出した。親戚で異常なほどの電話魔(1日に50回ほど着信履歴や留守電、ショートメールを送ってくる)がいる。そのせいか、私は成人してからは電話の着信恐怖症ぎみだ。なので、手紙にはメールアドレスのみを記載して、会う気があるならメールをくださいと書いた。

後日メールが来て、上野の美術館にて会った。どうやら1年だけ父親だった人は、1回目も2回目の奥さんともデートは上野と決めていたようだ。新しい場所は選ばない男性って多い気がする。知っている場所のほうが優位に立てる気がするのか、面倒なだけか?

とにかく色々と質問をされて、いかにも教師という感じ。質問をたくさんメモしてきていて、順番に聞かれた。彼の感想を一言でいうと「自己中心的な性格」だ。

母親から「ごめんなさい」の言葉はなかったと明かしたムロは、「新しいご家族があちらにあるから、できる限り僕はこれ以上踏み込まないようにしようと思っていますってお伝えしました。幸せを願わせてくださいということはお伝えしました」。
育ての親である「親戚のおばちゃん」に、母親と会ったと知らせ「良かった、会えたんだね」と言われたことも話した。
さんまは「言葉はみんなあっさりしているけど、心の中はそうじゃないやろんけど、複雑なんやろうけど」と推測。
(「スポニチアネックス」より引用)

私も「ごめんなさい」とは言われなかった。再開してから数年後、私に謝ってほしいととメールしたが、返事はなかった。

ムロさんの姿勢かっこいい

非行に走るのを生い立ちのせいにしたドラマが大嫌いなムロさん。成人するまでの期間が平坦でなくても、こんなに楽しく暮らしているよというモデルを世間に知らせたいと語っていた。すばらしい!

そうだよね、ほんとにそう思う。趣味趣向の合わない両親や環境で育ったことですべてが決まるなんて、気持ち悪すぎる。

大人になってから自由に動ける人は、未来は自分次第で変えられるわけだし。現在の自分と過去の生い立ちをいっしょくたにして考える必要は全くないということだ。過去は過去として違う場所に置いたほうが、自分のためにいいと思う。自分が幸せに生きていることが一番、自分にとっていいことだ。

それとは別に

今、私は会いたくない親戚に会わなくて済むので清々している。ただ、なんか引っかかるんだよな~。

ただ、産ませただけなのに、戸籍謄本では父親として残っている。だから死んだあとに声を掛けられるわけだ。つまり、死に逃げはできないってこと。生きているうちに、自分の人生に始末をつけない人は意外と多い気がする。産ませっぱなしにしただけのことはあるよなあ。彼は現在は校長先生を定年して、天下りで有名女子短大の顧問か副校長的なことをしているようだ。

ではでは~

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canari
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