空虚感に可能性があること
いつだって人は満たされたい。思いと満たされることなどない。の中で路頭に迷う。
光だと思ってみつけたものも泡みたいに消えちゃうことのがおおい。
だけど、それがあるから、
何か(人間でも映画でも)と関わりたい気持ちになるから
広がるのかも知れない。
空虚感にも可能性があることを知った。
この作品をみて考察。
女の満たされない部分を描いてるようにもみえた。
「空っぽ」感って不思議である。
いろいろなことを素敵と思える彼女が
私には空っぽとはおもえなかった。
好きでは無い人とのセックスで
擦り切れる。
仕事で何も出来ないから
空気で出来てるから
「空っぽ」な人形として落ち込む。
こんな風に理由を付けると永遠に
自分の中から何かが消えていって
空っぽになってゆく気がした。
理由なんて作るのは容易い。
この訳のわからない空気のよーな空虚感から
人と接点を求めて
私たちって、生かされてるんだなってよくわかる。
なにかの摩擦で
空気が風になっていつの間にか
変化して気づかぬところで
何かが生まれてるはずだから、
このむなしさは一つの自分が広がる、
可能性ではあるのかもしれない。
と感じた。
一つの映画にたいして3日くらい考え込んでしまう。
今日は年上の人に
「一つ一つ言葉が良いよね。
何でそんな若いのに達観してるの?
話してると良い言葉でグッとくること言ってくれて
凄く嬉しくなる。ほんとなんでなの?!!」と言われ嬉しくなる。。
俯瞰視が昔からすごいよね、ってよく言われてる~!だからひねくれてるとこもあるんです。
という理由にならない答えをいった。
きっと私は映画や私生活で感情を深めに掘る癖があるせいだとおもう。
なにかあったときに
近しい人の悩みや深めの感情もさらりとホッとさせれたら良いのに、と常々思うのだった。
私もいつも自分の中が空にならぬよう意識してるのかもしれない。
それでも空虚感はいつもあるものだ。
もしも、空っぽだ。と思い詰めてるとき、
なにか取り入れれば良いし、
そんなのも難しいときは
誰かに聞いてみるのは大事かも知れない。
空っぽな人など本当は存在しないのだから。