下手だった絵を載せながら、約10年かけてイラストレーターになったはなしをします。
最初、この道を目指した時のへたっぴな絵とともにプロフィールと兼ねて、振り返ろうと思います。これからイラストを極めたい人に少しヒントになるかな?と思いました。同じ道をお勧めはできません。
大学や専門学校を卒業してないので、どういう経緯か描いた方が、私の経歴は伝わりやすいと思っています。まわり道、迷い道の日々でした。
現在の絵
長い文になったので最初に載せときます。
名前 職業 特技
描けるテイスト
経歴
絵とともに振り返ります。簡単に言うと21歳からアニメーションへ興味をもち、本格的に絵を描き始めた。その後イラストレーターの道へ行きました。
1992年 5歳 セーラームーンにはまり絵に目覚め
絵は引っ越しが多く手元に無いです。
どこへ行ってもクラスで一番か二番目に絵は上手かったです。(賞をとったり投票とか色々ありました。)
下手じゃなかったの?と思うかもしれません。安心してください。続きがあります。基本、楽をする事が好きで、習字の時間で「楽」と描きました。絵は好き。漫画家は大変そうだからなりたく無かった。夢をみれるほど毎日が余裕がなかった頃。
2002年 15歳 絵以外の取り柄がないことに不安になり描けなくなる
自己肯定感0時代、褒められることが苦手でした。
2005年 18歳 高校卒業 OLになる 夢は安定
2008年 21歳 取り柄が何もなくなり虚しかった。テレビで、ディズニーアニメーションに感化され OLしながらバイトをしてお金を貯めたので、よく週7日で働いてました。若さですね。
仕事を辞めて、
アニメは詳しくなく、ジブリすらほとんど観たことがありませんでした。ディズニーアニメーションで働いてる人にSNSを使って相談した事があります。のちにアナと雪の女王に携わった人です。
かなり本気でした。みゆきさんが本当に丁寧に返信をくれたのを覚えてます。
東映アニメーション研究所に行ったのも、日本にディズニーアニメーション会社があった時に就職した卒業生もいたからです。私が学校に通う前にディズニーアニメーションは日本から撤退しました。
小さい頃から絵上手いと言われてきたものですから、学校へ通ってる時は、上手い人は沢山皆から「上手いね〜」と言われてましたが、言われない私って下手なんだな、と気づきました。
下手だね〜までは言われないけれど空気で察する。確かに線きれいに描けないし、なんか変だぞ?と。人生初めての感覚に戸惑う。
絵は5年描いてないと下手になるんだと知りました。
デッサンとは思えないくらいデッサンできてないヌードデッサン。上手く描けない自分にもやもやしっぱなし。何回も同じところなぞる癖もありました。
皆が自主的にやっていたクロッキー下手すぎて朝起きるの無理すぎて、すぐ行かなくなった。私基本、ぐうたらが好きなんでやる気はあるけど体がめんどくさがる、な日々でした。
毎日やっていた人はすごく上達していました。上手く描けないからしんどいだけ、
学校は好きでした。絵が下手でも周りと比べることはなかったです。
その後すぐ廃校になったのですが、アニメーションの学校で一番優れていたと今でも思ってます。 生徒の事を考えて授業してくれてるのが伝わってきてましたし、出会えてよかった人が何人もいます。
2010年 学校は退学して 子供向けアニメーション制作会社にて二原〜原画 担当
学校行ってみて、ディズニーアニメーションに入れない!と思い、仕事することにしたのです。これでよく会社に受かったと思うレベルでした!面接で「最初は下手でも後々はわからないから」と下手って事軽く言われました。そこまで気にしてませんでした。ここまでは…
アニメについて少し補足します。鉛筆使って手書きで描く会社でした。
2原画は原画の清書のようなものです。
鉛筆を尖らせながら、線と丸を描く日々が半年。
その後、毎日へたへたと言われ続け、ボッコボコになり、病む。
才能ないね、と言われたり、絵を投げられた時は凹みました。優しく教えてくれる人もいるのですがそれでも描けず、さらに悲しかった。簡単に言うと、仕事できない人でした。
丸と線のおかげか画力が急激にアップ
泣きながら沢山の量を描いて練習しました。帰れない日はよくありました。
毎日がカップ麺でした。金銭面でも技術面でも厳しい世界です。自分の絵が描けないこと、同じ絵を機械みたいにたくさん描かなければいけないことに虚しさが私にはありました。私の甘さでした。
今はこの過程があって良かったと思っています。
セーラームーンはずっと好き。
下書きしてトレス(清書)。この線はまだまだ綺麗では無い時です。
辛い経験は後々、大きな支えになりました。
前に「絵が上手くなるにはどうしたらよいでしょうか?」と聞かれて、
今は「心躍るものを楽しく描く」という結論ですが、その時おすすめしたのは、ルーミスの本です。
学校の子たちで流行り、この本一冊を模写してました。何回も模写してた人も居ました。
人体構造がわかったので良かったです。わたしは面倒くさがりなので一回だけ全て模写して終わりました。
※絵は仕事では関わりの無い作品で、練習で描いてたものです。
2年くらい勤めて、辞めました。
2011年 病みマックス時代は明るくなる OLへ戻りパリピ絵を2年描かずにマラソンにはまる 今まで遊べなかった分が大爆発 絵の話をされると勝手に涙が出てくる。だから蓋をしてました。
2013年 イラストレーターという仕事を知る。今まで追い込んでいたが、解放を感じた。そして、ギャラリーのオーナーさんに感化される。
奥野ビルのとあるギャラリーへ展示を観に行ったら、オーナーさんと話が合い、お酒を2時間くらいたしなむ事がありました。
オーナーさんは画家でもあり、「今しか描けない絵があるからもったいないよ、マラソン選手にはなれないけど絵なら何かになれるよ」と言われて描くようになりました。
オーナーさんに絵画教室を紹介されました。沢山褒めてくれる明輪先生のおかげで絵を少しずつ描けるようになりました。間も無く、奥野ビルで展示にも参加させてもらいました。
今の絵に近いですが色々なイラストレーターさんの絵に影響されて自分があまり無いです。森本美由紀さんや長沢節さんに憧れていました。
2014年 .stさんへイラストレーターとしてインタビュー記事が掲載される
まだ実績があまりない中、私で大丈夫でしょうか?と確認して、絵が良かったので、と言われ、とてもありがたかったです。語りに語りつくし、自分が目指してるイラストレーターがわかりました。
この頃、あまり絵画や美術に触れてない人生だったので、感性を磨くために美術館に行きまくってました。
2017年 マウントジンで個展
この頃まで絵を描くのが辛くて辛くて、無理やり時間を作って描いてました。
個展の後は疲れてしまったのでシンプルになっていきました。
2018年 山田博之イラストレーション講座 19期を受講する
塾のおかげで、5歳の時ぶりに描く楽しさを思い出しました。描き方よりも、考え方を学びました。
自分を変えない。とにかくイラストレーターとして生きたい。と思っていました。「まだまだ型が外れてない絵だから、これから絵が変わってその絵が好きになるよ。」というようなことを山田さんに言われました。
今は変わり、あの言葉通りになっております。塾の課題(宿題)こんな感じでした。
振り返ると塾前のが、誰かの型にはまってました。詳しく知りたい人は塾へ見学しに行ってみてください。
ゼクシィさんの年末号で冊子1冊分 イラスト75点を2週間で描く、寝ず、食べず、腱鞘炎になる。辛さもあったが、自由に自分の絵を描ける楽しさが勝っていた。
2019年 33歳会社を辞める 退職金で引きこもって絵ばかりを描く
3倍くらい早く描けるように工夫を重ね、
半年くらい、納期に悩まされたことは無いです。
第6回東京装画賞展 へ応募して
628人の中から、65人に選ばれたのだった。
入選して真のイラストレーターになれたと思った。
2020年 現在自宅待機で絵が上達
というような流れです。長いし、迷い道すぎるのでお勧めできません。
現在の絵を載せます
常に死ぬまで満足することは無いと思う、だからこそ描き続けられます。
//instagram.com/p/B-7QR24jgwB/embed/
元アニメーターなので、要求されたことへのストレスはあまり無い。です。お急ぎの時は是非是非お任せください。
金額
ご依頼は下記まで。
kinatsumi723@gmail.com
インスタにもメッセージ機能があるのでご活用くだされば幸いです。謎の文字化け。納期2-7日で対応してますが、お急ぎの場合は要相談でお願いします。
少し落書きちっくに書いてみました。依頼があまり無いのですが子供向けアニメに関わっていたので、キャラものも抵抗がありません。最近キャラを作る依頼もあり、楽しく考えさせてもらってます。
ギャグっぽいのももっと描いてみたいなぁと思っています。描けたら載せていきます。
今後やりたい仕事
漫画も描いてます。暗黒パリピ時代のわたし。
ラインスタンプやってます。
半年以上前に作ったHPがあります。あまり今のテイストじゃ無いのは毎日たくさん描いていたらそうなりました。
その時の経過も書いてますが、赤裸々なので書いた後はずかしくなって有料にしてます。
何でここまで続けられたか?というのは、友達の支えがあります。
あと、描いてなかった時間があったからこそ、絵の大切さにを知ったのだと思います。
描いてない時間が無かったら今こうして描いてないかもしれないです。
あと、私、多分、自信とか才能とか強さは無かったなぁと思うんです。
よく最近この3つを言われて不思議な気持ちになる言葉なのです。わたしにはそれがあって、相手がそれが無いから諦める、という感じがしてあまり好きでは無いです。
その言葉なかったし、泣きまくり、辞めまくり、自信は粉々になり、描いてて楽しく無いのに、それでも続けちゃう…というものでした。
実力がついてくと周りが理解するために使うのがこの言葉なのかも。と思います。
あまり自分にはフィットしていないのです。朝ドラで自分がピンとくる言葉があるので、載せます。
こんな感じだなぁと思いました。しがみついたのだ。
今はやってきて本当に良かった!!!と思います。
たくさんの人に出会えてるし、考えの深さ、世界のみえかたは白黒がカラーになるくらいに変わったのでした。1つを深めると他も共通項があるので、生きてる中で知ることの色々な事が勝手に深まっていくという感覚があります。
そして、今は描くのが本当に楽しいので、お仕事も楽しいです。打ち合わせは一番好きです。更にお仕事沢山やっていきたい。
しかし、仕事ありきな訳でなく、仕事があってもなくても、描き続けることには変わり無いのです。
あってラッキーなくて元々。半年くらいは毎月お仕事もらえてるので本当にラッキーだと思っています。なんで続けられたか考えるのではなく、またいつか振り返ってやってきて良かった!を続けたい。という気持ちがたくさんあります。
まだまだ昔の絵が沢山あります。
人と比べず、昨日の自分と比べるとずーっと良い感じで生きてけそうで、捨てられないんです。
2021年の2月の終わりかけにポッドキャスト始めました。
イラストについたり語ったり語らなかったり、寄り道と迷い道の日々を楽しんでいます。