二月
一月も疾く過ぎてしまい、過ぎてしまったと思っているうちに二月も一週間近く過ぎてしまった。
時間は人の意志に関係なく流れていく。当たり前のことではあるが、そうだからこそ、それをつなぎとめる為に人為的な努力が必要になるというわけだ。
「意識の流れ」のおそらく提唱者である、ウィリアム・ジェイムズの「心理学」を引き続き読み進めている。
意識の観察をするには、他の諸自然科学のように、計器を使って計量するわけにはいかず、自分の意識の中を覗かなければならない。意識は、どんなことがあっても、時間軸の流れに沿った、一つの中心がある。中心があり、とめどなく流れている、たえず変化し続けている。ではその変化と中心を詳細に分析していこう、という所に差し掛かっている。
もしも、プルースト以降の「意識の流れ」諸作がこの理念に完全に沿って作られているのだとしたら、そこには、統一されるべき意識の分断、そもそもがフリーラジカルに浮遊しているいくつかの観念があって、それが結びつくように発展していくという、それこそウィリアム・ジェイムズが批判しているヒューム的な別様のあり方には思い至らないことになるのだが、もちろんそうはなっていないのだろう。次にはフロイトが待っている。