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父の介護の始まり。
子ども達が保育園に入園し、
ワタシは在宅で仕事をしながらも
時間のやりくりは出来ました。
通院や身体を休めることもできるという安心感、
それだけで頑張れたのです✨
入園後の春…
保育園でのさつま芋植えの行事がありました。
祖父母と孫が一緒に植え付けをします。
父に参加するか確認したところ
「収穫の方が楽しそうだ」と不参加でした。
結果的に…
収穫の頃は、父はもう自分の力では
歩けなくなっていました😔
春の時に父に参加して貰えば良かったな…。
夏頃から病院に通うようになったのは
脳梗塞の跡が見えるということから。
違和感があり病院へ行った父ですが
病院から自宅へ電話がありました。
「この状態で自分の運転で帰すことは出来ないので
迎えに来てください」と…。
総合病院への紹介状をもらい転院しました。
父の通院時には私は運転手&付き添いで。
子ども達が保育園に入園出来て良かったです。
園に預けている間ならば
なんとかワタシも時間が作れるので…。
ただ、ワタシの時間はなくなります💦
でも通院程度なら問題なしでした。
が…医師もビックリするくらいに
父の症状が悪化していったのです。
詳しく調べても原因がわからないままに…。
秋になる頃にはうまく歩けなくなり
保育園のさつま芋掘りイベントには参加できず
保育園の運動会も観に行けませんでした。
運動会のリハーサルは観たいと
この時は何とか園まで歩いて観に行きました。
途中、壁に寄り掛かったり休み休みでしたが…。
少しでもいいから孫たちの頑張りを見たい。
保育園での孫たちを見たい。
そんな父の思いだったのでしょう。
父がまともに歩けたのはこの日が最後に…。
この状況に、叔母(父の妹)が
「子ども達も小さいし、自分たちの生活を優先しろ。
父ちゃんのことは私がみてやる」と。
時に泊りがけで父の世話をしてくれました。
定期的に叔母の娘(ワタシの従姉妹)と一緒に
父をお風呂にも入れてくれました。
看護師だからと言ってなかなか出来る事ではないです。
本当にありがたかったです。
父自ら「オムツにしてくれ」と訴える程に
状態は悪くなり、自宅介護も限界になりました。
入院に向けて動き出しました…💧