見出し画像

生きること。次は誰の為に生きるのか。

「悪性だって。
  これから針生検します。」

駐車場で待っている夫へのメッセージ。

後に、夫から「どう返信したらいいか悩んだ」と言われた。

そう…だよね。ごめんね。

私は14年前に乳がんに罹患している。結婚から3年、乳児の双子を抱え初めての育児に追われている中での告知だった。

浸潤性乳管癌
ステージ 1
腫瘍の大きさ 1cm
悪性度 1
ホルモン受容体 陽性

一番多いタイプの乳がんで、乳房温存手術と放射線治療をし、ホルモン療法を5年間続けた。
再発のことが頭の片隅にあった中での生活、そして年次検査で聞く主治医の「OK」にホッとして日常に戻る、そんな繰り返し。

手術から丸10年で主治医から卒業し、その後は地元のクリニックで経過観察を続けていた。

「14年経つから少し検査を減らそうか」と提案された日の検査で腫瘍が見つかった。

まさかの、2度目の乳がん…。

何がなんだかわからなかったが、「悪性」という文字が飛び込んできた瞬間に

そうか…
乳がんか…
また…なのか…
なるほど…と受け入れる以外なかった。

立ち止まっている訳にはいかない。紹介状を持って、また主治医に会いに行かなくては。

術後10年で主治医の元を離れる時、「もう会うことがないように」と願ったはずなのに、また戻って来てしまった。

いや、主治医がまだこの病院で勤務していてくれたことに感謝しよう。また治療をお願いできる私は…幸せだ。

今回の乳がんがどのタイプなのか、まだわからない。これから詳しい検査をしていくことになる。

そして、今回ばかりは考えなければならない。『遺伝性乳がん』のことを。

私の実母は乳がんで亡くなっている。
43歳で罹患し、49歳で逝ってしまった。

私は39歳で罹患し、母の年齢を越えた今も生きている。またも病と闘うことになったけれど、それでも今、生きている。

今の私に何ができるかを考え、夫とも相談して決めたことがある。BRCA遺伝学的検査を受けることを。

乳癌や卵巣癌を引き起こす原因となる遺伝子を持つ人が一定数いることがわかっている。遺伝子を持っていても発症するとは限らない。

けれど、遺伝子検査の結果によってより良い術式や治療法を選ぶことができ、予防法を考えることもできる。

過去の罹患者たちのデータが医学の進歩に繋がっているように、私の治療もまた、子ども達のため、未来のためになると信じて…。

さぁ、今日も病院だ。

#未来のためにできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?