🇫🇮ヘルシンキで最後に見た景色
今年の6月の半ばから、ずーっと念願だったフィンランドへ行き、約半月間のアパート暮らしを経験しました。
今回は、そんな大冒険の最終日のお話です。
最終日だけど、フィンランド旅のエッセイとしては第一話。
思い出に温められた心が冷めないうちに、素直な言葉を残したいと思ったからです。
フィンランドの首都ヘルシンキという街は想像していた以上にちいさな街で、のんびり歩いているだけですぐにどこかしらへ辿り着いてしまうようなところでした。
街での生活は3日もすればよそ者感が消え、1週間経った頃にはこの街を知り尽くしたような気分になりました。
ヘルシンキの街の人たちは短い夏をめいっぱい楽しもうと、皆してカフェのテラス席に好んで座り、まるでかもめ食堂のシーンのように横一列に並び、白い肌を焦がすように、日差しを余すことなく浴びていました。
日本にいるときは一生懸命に日焼け対策をしていた私もフィンランドに来るとそんなことどうだってよくなり、現地の人たちと一緒になって大喜びで身体じゅうで日の光を浴びました。
おおきなタトゥーの入った腕で、気だるそうに片手運転をするバスの運転手。
街中を颯爽とスクーターで駆け巡る若者たち。
カラーの入れやすい美しいブロンド髪を、赤やオレンジに染めている女の子たち。
アキカウリスマキ映画の人々のように、しかめっつらをして、行き先を告げるバスの運転手さん。
ARABIAムーミンの紙袋を持っていると「あらぁ、いいものを買ったのねぇ☺️」とニコニコ話しかけてくださった、犬の散歩中のおばあさま。
週末北欧部cihkaさんにならって「フィンランドの香りを持ち帰る」をテーマに、みんなが使っている衣類用洗剤をレジに持っていくと、住民だと思ってもらえたのか、フィンランド語でポイントカードを作るか聞いてくれたスーパーの店員さん。(キートス❤️)
エスプラナーディ広場で路上ライブをしていた、10歳くらいのイケてる男の子たち。
ゆったりと走るトラムのように、ヘルシンキの人々はゆったりと、生き急ぐことなく、刹那的に、日々の暮らしを営んでいるように見えました。
そんな人々を愛おしい気持ちで眺めたり、時には関わったりしながら過ごしたヘルシンキの日々の最終日に向かった場所は、ヘルシンキ大聖堂を目の前に望む老舗のカフェ「Cafe Engel」。
普段からとりわけ食が細く、その日もあまりお腹が空いていなかったため、少し残念に思いつつ紅茶のみを注文して店内一番の特等席である窓際へ。
反転したCafe Engelのロゴが印字された窓には、青い空に白い色が美しく映えるヘルシンキ大聖堂が。
このカフェで一番の、いいや、ヘルシンキ市内で一番の特等席はここだと思ったほど。
紅茶の茶葉が湯に溶け終えるのを待つため、窓辺の席で頬杖をつきながら大聖堂を眺める。そうしながら、ここで過ごした日々の出来事を一つずつ思い起こしてみた。
そしたら涙が溢れそうになったから、ちょっと眉間に力を入れてハの字にして、唇を噛んだ。
まだ少しも冷めていないアールグレイをもったいぶるようにちびちび味わいながら、ティーカップの残りを砂時計に見立てていた。
砂時計が完全に落ちきった頃には、バスの時間が近づいていたし、アールグレイ一杯でヘルシンキ一番の特等席に居座ることにも気が引けてきた。
最後に「かもめ食堂」主題歌である井上陽水のクレイジーラブを一曲聴いたら、お店を出ようと決めた。
イヤホンから流れる音楽を聴いていたら、さっきは我慢した涙がポロポロ溢れてきてどうしようもなかった。
泣き顔を見られるのは恥ずかしかったから、窓際の席で良かった。
また必ずここへ来ようという決意と共に、名残惜しさだけを街に残してバスに乗った。
またね、ヘルシンキ
ありがとう、ヘルシンキ
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