モロッコにて①〜想像のアフリカ大陸〜
想像のアフリカ大陸を探しに。
小学校の教室。
先生の卓上に置いてあった地球儀を弄びながら遠い国だと思っていた、あの頃の小さな手にすっぽりとおさまったアフリカ大陸。まるい球体をするすると指でなでるだけならすぐに辿り着いた。
その机の斜め左上の天井から吊るされた四角の電気的な信号を受け取った面に写る限りではただただ細かな砂が一面に広がっていて、ぎらりと太陽が目の奥を刺してくるような気がする。同時に浮かぶのは白と黒だけで映すにはもったいないくらいの色で塗られた街の活気と聞いたことがないから呪文だろうかと思える人々の言葉。
脳の中にあっただけの大陸をその範囲で愉しむのはあまりにも勿体なく、またその情報だけではあまりにも充足されないから21歳の私はその地に赴くことに決めた。
15年の年月、内側であたためたイメージだけで飛行機のチケットを取った。当時はベルギーに居を構えていたから乗り継ぎはなく案外あっけなく到着した。
聴こえてきた音、外の側。
到着したマラケシュ。
滞在する時間もないのですぐにフェズ行きのバスに乗り込む。
それにしても想像の内側のものとは違う音が聞こえてくる。
アラビア語だと思っていたが、隣のバスの乗客はしきりに運転手に英語以外の言葉で話しかけている。流暢に答える運転手の言葉もまた、アラビア語とは少し違う。
ベルギーでもよく聞いたこの音。
フランス語か。
チケットをとったはいいもののこの国の文化は想像に作られたままに任せていた。知っているつもりのわたしの耳は、あついと思って浴びたシャワーが冷たく肌に刺すような刺激を感じ取っていた。
同時に感覚は鋭くなる。日本で乗るよりははるかに速く、また丁寧とは言い難いけれどそのハンドルの動きとバスの車体のゆるくガタついた感じが心地いい。車体に心地よく上下に揺られる視線の先に、この先にたどり着く地の名前が書かれている。
よく見るとフランス語でも表記されている。地域や受けた教育の時代によって、第2言語まで違うこの国の歴史の色濃さは、教科書で時の流れをなぞるだけで充足したつもりの脳細胞に黄色信号を当てる。
文字ですべるように読んだだけで、本当の意味ではその事実を受け取ってはいなかったのだよ、と。起きたこと、読んだそのままを受け取っていれば、それを信じていれば、それは恐ろしく身震いが止まらない出来事の羅列。歴史の教科書にはさきに生まれたひとびとの血が刻まれているから。自分の偽りの認識、赤信号に変わる。
同時にバスがキュッと止まる。
どどっと人がまた乗り込む。車体の重量がどんどん大きくなるので車体の揺れもまた大きくなってそれがゆりかごのようにわたしの瞼を重たくする。小刻みの振動と人の埃っぽい香り、砂が細かに中を待っているような煙たさを感じながら転寝。
モロッコの市場にて。
今日はメルズーガ砂漠まで移動して次の日は砂漠で一夜を過ごす予定をしているから、そのバスが出るフェズで夕方まで待つ。
ガタガタのバスともこれでさよなら、と額があせで光ってその浅黒く焼けた健康的な肌を濡らす運転手に頭を少し下げて手を振る。
バスが後ろ髪を引かれる様子もなく去っていく。
急に自分と外の世界に薄い膜が張っている感覚、耳から入る音は水の中にいるから少し聴こえにくく、目から入ってくるものはゆらゆらとゆらぐ。
知らない土地で、何にも囲まれずぼーっと突っ立ているとおそわれる独りとはまた違う感覚。違う街の空気に肌が慣れるまでには時間がかかる。
徐々に耳がクリアになり、音が聞こえてくる。砂をずるようなジャジャという歩く音、布が擦れる音、少し重たそうな布だ。ジュラバというその布は、頭まですっぽりととんがり帽子を被れるようになっている。砂漠に住む遊牧民が多く住むモロッコでは、頭に砂が入り込むのを防いでたとされている。
自分も歩みを進めてみると同じ、砂擦りの音がした。歩く音だけでも現地の人のようになるのだから面白い。でも見た目まではなれず、明らかに観光にきた違う国の人に見えただろう。
続く・・・
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