モロッコにて②〜迷宮の旧市街〜
迷宮の旧市街と鮮やかな砂埃。
「世界一の迷宮都市」とも呼ばれる複雑に入り組んだ空間、フェズ。
イドリーズ朝の時代にフェズは王都となり、芸術や学問の中心として繁栄した。
壁も景色もどこも一緒に見えるので頭の中で地図を描こうなどとは到底思えない。城壁に囲まれたそれは簡単に抜け出せると入った旅行客を鼻で笑い飛ばす気概がある。
観光客らしく、ブー ジュルード門というフェズ最大の城門を探す。一番大きいというが全く一向に見つけられない。他のこの地をおおずれた先の人々はどう探したというのか。
城壁に囲まれているためが空気がうずまいてこもっていて、少し息苦しいけれどすぐ近くに人を感じるから同時に安心感を感じるような空気に体全部を包まれたまま歩く。街が入り組んでいて抜け出せる気もしないので散策とおもいひたすらにそのまま歩を進める。
観光客とみかねてかしつこく声をかけられて少しばかりの疲弊を感じつつ、周りの器物がぶつかる音、値踏みする声、怒号、笑い声、すべてが耳の奥でまざって聞こえる。
タンネリを見たい。
広場を歩いていると、よく声をかけられるので耳を傾けると、「タンネリ、タンネリ」と言っているのがようやくわかった。そういえば、タンネリの案内人に声をかけられて交渉次第では工場を見られると聞いたことがあった。それを言っていたのか。
と言っても、なんだか胡散臭い。わかってはいても少しの好奇心と、自身の覚束ないガイドだけで歩き回るのに思考も疲れていてうなづいてしまった。カラフルな布が色褪せて砂埃に混じったような褪せたジュラバを身に纏っていた彼は、私を手招きし、広場の下り方向に向かって左側にわたしを案内した。
入り組んだ細い道、きた道を覚えておかなければと思うものの足取りと思考は追いつかない。慣れない石畳の凹凸を踏みながら案内人のジュラバを目で追う。
突然、鼻を突く、けれどどこか懐かしい匂いがする。
店のなかに連れ込まれ、階段をのぼっていく。店の中にずんずんと入り込む行為に心臓が音をたててわたしに警告する。
そんな警告とは裏腹にたどり着いたバルコニーからみえたのは、図工の時間にきれいに洗うのが苦手だったあのパレットを大きくしたような巨大な絵の具パレットだった。まるでガリバー旅行記のように、人が小さく見えて感覚を失いかける。
「タンネリ」とはフランス語で「なめし革工場」を意味する言葉。このなめし革染色職人街を「タンネリ・ショワラ」と呼ぶらしい。
大きな染色桶の中に入って作業をするため、現地の作業員は腰まであるゴム製のつなぎを着て作業をしているが体に繋ぎがぴたりとくっついて、滲む汗がそのまま繋ぎを通して布を濡らしていくような感じだろうか。
少年に騙されかける。
タンネリのクセになりそうな鼻につく香りから離れて店に戻るとおやつが用意されていた。おいしそうだったので頬張る。
甘さが口いっぱいに広がり、舌の細胞がこれでもかと自分で液体を出して薄めようとしてくる。それを差し出されたお茶で流し込む。これはなんのお菓子だろうか、そう聞く前に案内人の少年は立ち上がり、私を手招きした。
見たいものを見て、思いがけぬおやつを手に入れ、少しの高揚感まで得ていたのだろうか。わたしは彼に着いていく決断をした。
違うお店に連れ込まれる。中に入ると螺旋を描くように砂埃がまう高い天井、壁一面に布がぶらんとだらしなく下がっている。けれど、布ひとつひとつはどれも面白い。
目を奪われているともう一つの別の小さな部屋へ。
目に飛び込んできたのは部屋に入りきらないほどの大きな機織り機。機織りをするものは正直、空想の産物だったのでみたことがない。突然のサプライズのようで胸が高鳴る。
記念に、と一本のストールを買ってしまった。見た目以上に重たく、触り心地がいい。冷くて気持ちがいい。
ツアーも終盤。
そろそろ終わりかと思い、もう時間だと伝える。
OKOK。と私に答えた彼は、もうすでに馴染みのある笑顔で私を手招きした。北道まで戻るらしい。
信じてその背中を負う。少し暗くて細い道になってきたところでなんだか怪しさに気づく。自分だけ道を外れようか、でもこのまま戻れるのか、どちらにせよ不安だ。でも決めないと、嫌な予感がする。
急足で進む彼の背中を追いかけるのをやめ、そっと右足を後ろに引く。
前の足音もぴたりとやんだ。
ザラっと音が聞こえ、足音が近づく。少しの恐怖で動けない。どうしよう、と思っていると「これから友達の家でご飯だから一緒に来ないかとおもって」と言われた。
時間がないからと断ると、じゃあ写真だけでもと言われる。
これで最後だと、
左手にアイフォンを構えて自分と彼がその長方形に暗く映っているのを確認してボタンを押す。これを送って、とでもいわれるのだろうか、などと考えていると突然、彼の顔が近づいて無理矢理口を顔に当てられる。彼の髭が自分の頬にあたる。
湿った目があう。
そのまますごい力で手を引っ張られそうになって、怖くなって、全ての思考がストップ。「走れ」と警告が聞こえた。
道がわからないのに走った。見つからないように走った。息が切れる。こういうとき便利だったのは人の多さと迷路。といっても地元だから彼にとっては迷路ではないはず、そう思うと怖くて歩みを止められない。
どこに行けばいいかもわからず心臓が潰れてなくなるんじゃないかという圧迫を感じながら、この街をあとにする。
そう、今日は砂漠に行くんだからこの気持ちも晴れるはず、と。
それでも忘れられないこの体験は今でも脳裏に焼き付いている。
続く・・・
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