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オフライン

Wifiのない環境で低速モードになってしまったので、数日間オフラインで過ごしていた。すると、普段何気なく見ているSNSのほとんどが必要のない情報ばかりだったことに気づく。なんとなくSNSを眺める記憶のない時間がなくなると、時間を過ごしている感覚を取り戻せた気がした。

SNSを見なければ無駄な気がかりもなくなる。SNSで誰かが表層だけを見て放った言葉や、不特定多数に向けているはずの特定の誰かへの皮肉や悪口は、どこまでも他人の言葉でしかなく、自分に直接伝えてくれるのでない限りはその人の勝手な独り言だと私は思っている。「あの人に見られているかもしれない」という一方通行の願望のような最近のSNSは、コミュニケーションなのか、何なのか。

気になる人のブログをパソコン上にブックマークして、それを家で読みたいときにクリックして読む。ネットでの他人との関わり合いは、これくらいの距離感がちょうど良かったのかもしれない。私は親しい友達と気まぐれなペースで文通をしている。ごく稀にラインしたり、会ったりもするけど、仲がいいということは、常に繋がっていることではないと思う。

SNSでつながっているがゆえに会うこともない人々。私がSNSで見ているその人たちは、自分の想像界の姿なのに。私たちはつながっているようで、つながっていないかもしれないのに。

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