無糖きな子

矛盾の生き物それが人間。全ての説が一理あるだけ。

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最近の記事

復縁はありえない

風は、気圧の高いところから低いところに吹く。気候が不安定になるのは、気圧に高低差があるからだ。 きっと人間関係も同じである。同じくらいの気圧なら、風がひと吹きすることもあるだろうが、基本的には安定した気候になる。 一方で高低差のある気圧の間には、風というエネルギーが発生する。安定的に不安定な状態だ。同じような人間同士が上手くいくという話ではない。似た二人でも全く異なる二人でも、それぞれ二人は同じような何かを保持しているから安定したバランスを保てるのである。 別れた二人の復縁

    • オフライン

      Wifiのない環境で低速モードになってしまったので、数日間オフラインで過ごしていた。すると、普段何気なく見ているSNSのほとんどが必要のない情報ばかりだったことに気づく。なんとなくSNSを眺める記憶のない時間がなくなると、時間を過ごしている感覚を取り戻せた気がした。 SNSを見なければ無駄な気がかりもなくなる。SNSで誰かが表層だけを見て放った言葉や、不特定多数に向けているはずの特定の誰かへの皮肉や悪口は、どこまでも他人の言葉でしかなく、自分に直接伝えてくれるのでない限りは

      • 白いテーブル、ピザパントーストとコーヒー

        「なにか音楽かけて。朝にいい感じのやつ」というリクエストにその人が選曲した曲を街中でたまたま聞くと、その人が作った、ピザパントーストとコーヒーの休日の朝を脳が呼び覚ます。その着脱可能だと思っていた記憶のレイヤーはいつの間にか私という元データに統合されて、切り離せなくなり、そのフィルター越しでしかその曲を聴けなくなっていた。どんな曲と聞かれてもメロディは歌えないのに、聴いたとたんに記憶の方は呼び起こされる。私は当時22歳くらいでその人の名前も顔も覚えてないし、曲のタイトルもアー

        • 飲みの場の苦難

          酒がムリになったのか、クラブミュージックに飽きてしまったのか、デカい音楽の中で大きな声で喋り続けなければいけない状況に体力が耐えられなくなってしまったのか。夜の街に集まる人たちを最近はなんだか眩しくて見ていられない。いやみんな若い、年齢ではなく。 自分も学生の頃は毎週クラブで朝まで酒を飲みながら、踊る人たちを見るのが好きだった。今は1人、気づいたら群衆を遠くに眺めながらすみっこで唐揚げと人に奢ってもらったハイボールをつまんでいる。これでは家にいるのとおんなじだ。 夜遊びで1番

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        • 恋愛
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        記事

          見掛け倒しの恋愛

          好きなものが同じなだけ、もしくは男女になったというだけで、仲良くなったような気がしても、そのような要素や儀式と、精神的につながることは全く別の話だ。 相手への興味が最高地点に達すれば、ただの友達でも男女になる。これはとても自然なことだ。逆に、精神的なつながりを手に入れる手段として男女になったとしても、心の隙間が埋まるわけではない。ただひたすら虚無と虚無とがぶつかり合うだけだろう。 仲の良い異性の友達同士に何も起こらないのは、お互いが精神的につながっていながら、男側も理性を保

          見掛け倒しの恋愛

          geniusは精霊 〜アートの匿名性について〜

          顔の写っていない写真を何故か見入ってしまう。それは自分であり得たものだからかもしれない。本格的に人を撮るようになってから半年も経っていないが、始めたばかりの頃は顔をメインに写真を撮っていた。当時、人を撮るということは必ず、その人の顔を写すことだと考えていたから。顔になにも被さらないように、はっきりと表情が写るように。しかし気づいたら、自分であったかもしれない人として、被写体を撮るのが好きになっていた。いつの間にか私は被写体を自分の一部として捉えるようになり、被写体を通して、自

          geniusは精霊 〜アートの匿名性について〜

          写真を撮るのがもったいない

          写真を撮っていると、写真を撮るのがもったいないと思うことがある。被写体の魅力がカメラで捉えきれないほどだから他の方法で残したい、けどカメラ以外に方法が分からないという。だがその葛藤の瀬戸際でシャッターを撮ると、何故か身震いするほど素敵な写真が撮れていることがある。 私はいつも日常を撮る時「忘れるから残さなきゃ」という気持ちだけで撮影している。何かを写真として残すことは、それが過去になることだ。いつか被写体がこの世から消えたまま、写真だけが残る世界線を認めることになる。一方で、

          写真を撮るのがもったいない

          保留

          自分のことを他人事のように話しますね、と言われたことがある。確かに、私は困ったことがあると私みたいな状況の人がどこかにいて、自分ではないその誰かの目線で話をしてしまう。例えば辛いことほど無意識に楽しそうに話す。人前で悲しい話を笑い話のように話しては、保留していた感情や行動が1人になるとあとになって発症する。 先日、NHKの72時間ドキュメンタリーのインタビューを観ていた。恐山の密着で、「毎年来るんです、娘が亡くなったので」という夫婦とか、樹木葬の密着で、「夫が亡くなっていつも

          アンパンマンを食べたい

          今、急に思い出したのだが、4歳くらいのころ、幼稚園で自己紹介シートを作った時のこと。名前を呼ばれた順番で、質問に答えて先生が代筆する。私の名前が呼ばれて、誕生日や好きな食べ物に続いて、最後の項目に「将来の夢」の欄があった。幼稚園の先生に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて私はすぐに「アンパンマン」と確かにはっきり言った。しかしそれはアンパンマンへの憧れというよりは、美味しそうだから食べたい、という意味合いだった。アニメや絵本でアンパンマンが自身の頭をぷにゅっとちぎって誰

          アンパンマンを食べたい

          かわいいの発見

          「こういうのは、あとでググればいいからさ」と呟きながら、気だるそうな男子二人が私の目の前を足速に去ったのは、原田治展「かわいい」の発見の入り口に設置された、作者の解説パネルでの出来事だった。 展示には、原田治のさまざまなテイストの作品が並んでいた。さまざますぎて、狂気を感じたくらい。とにかく、彼の中に複数の人がいるんじゃないかと思うようなバリエーションの多さだった。私は、彼がイラストレーターとして試行錯誤して生み出した、さまざまなテイストの絵を楽しんだ。その一方で、彼の変幻

          かわいいの発見

          スマホカメラ

          写真が趣味でも、スマホのカメラにはなんの期待もしていない。一眼レフやフィルムカメラを使い倒して、日常的にカメラマンの作品を見てきた私は、スマホカメラを起動させた途端、なんか違う感に殺られて気が滅入ってしまうからだ。 しかし私は衝動的に、スマホで写真を撮る癖がある。フォルダを見ると写真はほぼやり投げで思いつきで、いつも突発的に撮っているのが分かる。写真の内容と記憶の内容が合致していることはほとんどない。例えば、何かに焦って参加した少人数婚活イベントで、終わり際、誰も選ばない選択

          スマホカメラ

          この世で最も映えるものは、この世で最も映えないもの

          私の中で信頼できない言葉が「SNSで話題!」になって久しい。 「インスタ映え」とは誰が撮ってもおんなじように撮れる写真のことを言うと思う。インスタ映えという言葉が生まれる前と今とでは、写真映えの意味が大きく変わった。 私にとっては写真に「何が写っているか」はたいして重要ではない。一方でインスタ映えは、何が被写体なのか、しかないただの情報伝達方法になっている。 インスタ映え=誰が撮っても映えるって意味だとしたら、SNSウケがいいのは何がメインかが明確で、明るくてカラフルでくっ

          この世で最も映えるものは、この世で最も映えないもの

          手紙

          作者は何かを書くとき、感覚としては書いていないのだそう。それは、作者は書いているのではなく、何かに突き動かされることにより、書かされているから。よく、「この作品の作者の意図は?」という質問があるけれど、それは作者も分からないのだと。作者は作者である自覚がない。そして読者を意識して書いているわけではないから、書き上げた後で「読者に伝えたかったこと」を聞かれても、実のところは「特にない」。確かに、読者の存在を気にしながら書くと、純粋な自分の言葉が出てこなくなると思う。 SNSは

          たまごっちみーつの人間模様

          下校したら、自分のトイレよりもたまごっちのトイレのほうが先。たまごっちのキャラって、世話に時間が空きすぎると重病になって亡くなってしまう。ちょうど下校時刻が遅くなってたまごっちが危篤状態になった際、小学生だった私は愛して育てたキャラ(確かめめっち)が亡くなるのが信じられなくて悔しくて、トイレにこもってギャン泣きして家族を困らせた。 数か月前突然何かを思い出したようにたまごっちを買った。正確にはたまごっちみーつ。サンリオとコラボしており、たまごっちの世界でキティとかシナモンと

          たまごっちみーつの人間模様

          会えないのは死んでるのと同じ

          36枚撮りのフィルムを現像したら、不具合で何も写っていなかった。 私がシャッターを切る瞬間は、この記憶を忘れる、という瞬間。いつもは一日だけで一つのフィルムを使って即現像しているが、今回は2週間くらいかけて、日常をだらだら撮っていた。でも何を撮ったのか何も思い出せない。覚えているのは感情の残り香のようなものだけ。 写真として残さないと何もなかったのと同じ? SNSに投稿しなければ存在しないのと同じ? 私は現像を待っている間いつも、近くのチェーン店で「どんな仕上がりになっ

          会えないのは死んでるのと同じ

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          私は小学生のときにブログを書いていて、それがまだネットの海に漂っている。確かシャボン玉の写真が無断転載されたこともあった。恥ずかしいので、すごく削除したいのだが1ヶ月毎日何度トライしてもログインできない。運営にまで懇願したが無理だった。この幼い自分のくっちぇらかしたブログが恥ずかしいということは、まだ自分の中に小学生の私がいるからかもしれない。他人事になる日は来るのだろうか。そしてまた、社会人になって開設したホームページにログインできなくなった。

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