会えないのは死んでるのと同じ
36枚撮りのフィルムを現像したら、不具合で何も写っていなかった。
私がシャッターを切る瞬間は、この記憶を忘れる、という瞬間。いつもは一日だけで一つのフィルムを使って即現像しているが、今回は2週間くらいかけて、日常をだらだら撮っていた。でも何を撮ったのか何も思い出せない。覚えているのは感情の残り香のようなものだけ。
写真として残さないと何もなかったのと同じ? SNSに投稿しなければ存在しないのと同じ?
私は現像を待っている間いつも、近くのチェーン店で「どんな仕上がりになってるかな~」と期待と不安で食事をとる。今日もそうだった。牛丼を食べた後に歯がざらざらしているのは不快だが、この数時間だけは、現像を待っている時間に食べていた定食の後味だけを飼っていたい。仕上がりを見る瞬間を夢見たキラキラした瞳でシャッターを切っていた自分を思うと泣けてくる。「現像したんですが、きな子さん、何も写っていませんでした。」とカウンターでカメラの店員さんが見せてくれた、写真だらけになってるはずだったまっ茶色のフィルム。トラウマで、いつもなら「今シャッター切りたい」と思う瞬間も「これもある意味で幻覚の一部だし撮る必要ないな」と思うようになった。そして今も。でもいつか私はそんな過去の自分を愛して、歯磨きをしたらまたフィルムを買いに行くのだろう。
2021.7.26
無糖きな子
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