「許さない」ことの大切さ
わたしは28歳で1度結婚し離婚している。23歳から5年付き合い結婚した彼は、常識がなくバカなわたしには躾が必要だと、度々暴力を使って教えた。彼は普段穏やかな人に見えて、仕事仲間はもちろん、友人や兄弟すら、妻に暴力をふるう人間だと想像もできなかったと思う。彼はよく、いかにわたしが異常であるかを夜中から朝までじっくり話してくれるような人だった(当時は本気で「してくれる」と思っていた)。世間から見た彼は常識的な人間で、むしろ異常なのは特殊な家庭環境で育ったわたしの方。そんなわたしを理解し、それでも一緒にいてくれる優しい人間は彼以外にいないと信じていた。
結婚して1年ほど経った頃、知人に雑談の延長で夫の愚痴をこぼすと「まさか暴力まではないよね?」と怪訝な顔をされた。しまった。暴力を受けながらそこにい続けるような人間を、世間がどんな目で見るかはさすがに知っている。下手に隠すと余計に深刻か。「たまにあるけど、まぁわたしもヤバいから」とヘラヘラ話すと、さらに怪訝な顔で言った。「仮にあなたがひどいことをするヤバい人で、暴力を使ってでも正す必要があるのだとしたら、自分なら一緒に暮らせないし、別れるよ。暴力をふるってでも一緒にいるって、ヤバいのはどっちかな」「あなたがヤバい人だとは思えない」
至極当然で単純な話なのだが、目から鱗だった。うっそ〜!こんなシンプルなことがわたしはずっとわかっていなかったのか。
その日帰宅し、中学生の頃から好きだった女性歌手の曲を聴いた。夫にその歌手の曲を聞く人が嫌いと言われて聴かなくなり、6年が経っていた。翌週、ちょうどやっていたその歌手のライブに行った。自分が好きなものを好きと言うこと、好きなことを楽しむこと。そんな単純なことができなくなっていたことに気づいた。
1ヶ月後、ひとりで暮らすための家を借りた。夫はわたしの急な変わりように、洗脳されていると騒ぎ犯人を探していたが、むしろ逆だった。長い長い、長〜い、30年にわたる呪いのような洗脳が、このときついに解けたのだ。
それまで、人を憎むことは時間の無駄だと考え、傷付いたことはできるだけ忘れるようにし、何事もなかったように生きていた。そのために無意識に「許す」ことを繰り返していたと思う。許さずには前に進めなかった。だけれど、そこが根本的に間違っていた。
前に進めなくてもいいのだ。憎んでもいいし、許さなくたってよかった。とにかく自分の気持ちを大切にすること。それが絶望的に欠けていた。
わたしを下に見ていつもバカにしていた夫だったが、泣いてすがって、散々ごねて、離婚成立には1年半かかった。
現在わたしには6歳になる息子がいる。保育園で「ごめんね」「いいよ」の定型を学んで帰ってきたので、わたしは「必ずしも許さなくたっていいんだよ」と教えた。これまでわたしを傷つけた人、そしてこの先傷つけようとする人を、絶対に許さない。そう決めたあの日から、わたしの人生は変わったから。
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