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No1,「この痛みは正しい痛みなのか?」

こんばんはこのコーナーがやって参りました。
今までくる質問に全て答えていたんだけど、面白い質問をピックして答える方式に。短くても長くても真剣に答えてるんだな。

質問ありがとう。

一般的な人は「痛み」という言葉を聞くとなんだかネガティブなイメージを抱くんじゃないかな。ネガティブなだけならいいけど、いいことなんて一つもないと思われがちなんだな。

でも実際、物事にはいい面と悪い面が混在しているんだ。
これがこの世の中のセオリー(原則)だと思ったらいい。

だから、痛みってのは悪いことだけではないんだな。

例えば中世哲学を勉強すればよく分かることだけど
キリスト教における苦難、や受難やキリストの受難と同様に
物事の再生、教訓、魂の純化、愛の実践において重要なことなんだ。
痛みなくして成長や気づきは無いからね。

もし、あなたが痛いと思うことがあったらそれは
あなただから痛いことなのか。

それとも誰でも痛いことなのか。

かを考える必要がある。

もし、あなただから痛いことなのであれば
それは、あなたがあなたの本性を生きていることを教えてくれる明確な標になっているということなんだ。

痛みや受難は基本的に自ら望んではやってこない
自分の意図しない世界からのやってくるものgiftなんだな。

人間は本性や、望むもの、ありたい自分が明確であればあるほど
逆のものが痛いし、辛い。
逆に言えば、そういう自分の生き方が明確でない場合においては
全ての痛みは、一般的な痛みであって、あなた自身の存在の必然的痛み<正当な痛み>ではないということだね。

それが痛いと感じる理由が、あなたの生き方の中に明確にある場合。
すなわち必然的な痛み。

それは、あなたにとって正当な痛みで
積極的に引き受けるべき痛みなんだ。

痛みの根拠が自らの本性に根ざしているものなら
それは正当な痛みとして受け入れて

”噛み締めること”
飲み込んではいけないし、吐き出してもいけない。

それ以外の痛みはもう二度と出会いたくないなー的な感じでいいと思うし、もしかしたらもう二度と出会わない痛みかもしれない。

必然的であり且つ正当な痛みは永遠に手放すこと無く
積極的に受け入れていってください。

するとよく自分の本性が理解できます。
そしてその本性に根ざした善さに生きる道標として
あなたをあなたとともに導いてくれます。

正当な痛みとして。

今日はこの辺で。
がんばってね。

真田


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