2020年7月20日の手紙
久しぶりに中島みゆきを聴いているんだ。
みゆきさんとの付き合いも長くなったな。多感なころにファンになってから、もう30年以上聴き続けていることになるね。あはは、あなたが生まれるより前からじゃないの。
だいたい好きな曲、好きなアルバムって決まってるから、そればっかりヘビロテして聴いてたけど、今回は珍しく、あまり聴いてこなかったアルバムを聴いてみたのよ。友達がね、たまたま『杏村から』って曲の話をしてて。あれ、どのアルバムに入ってたんだっけ?って探してたらね。
結局、『杏村から』は見つからなくて、なぜか「わたしの子供になりなさい」を聴く羽目になったよ。アルバムのね。
これ、1998年3月に出たんですって。前世紀だね、もう。まだ私も結婚する前で、というか、旦那さんの前の彼氏とほぼ切れながらもまだつながりを捨てきれないころだね。仕事の方が面白くてノってた頃だわ。30歳前だ。
あなたは…そう、まだ愛する人とともにいた、幼い日。今のような未来があるなんて、思ってもみなかったであろうとき。
「わたしの子供になりなさい」のタイトル曲、『わたしの子供になりなさい』はね。
つらいことがあっても涙を見せない、見せられない男に対して、女が、涙を弱みをみせてもいいのよ、私の前ではね。って歌う歌。そのときは、愛とか恋とかいうんじゃなくて、もう私の子供になった気分になってさ。…ってことね。
男性の涙って、そういえば、あまり見たことないな、って。
もちろん子供のときはわいわい泣いてるし、大人になっても、嬉し涙や悔し涙は見ることあるかな。あと、感動して思わず涙、はあるね。
でも、悲しいとか、つらいとか、心が痛いとか、なんか言い表せない苦しいきつい感情に苛まれて、そういうので涙をこぼすのは…見ないな。すごく大切な身内をなくすとか、そんなんでもない限り。自分の身近でも、見た記憶がない。
だからね、あのとき、あなたが唐突に泣いた、号泣しだしたときは、心底動転したんだ。
とてもそんな、人前で泣くような人だとは思わなかったから。強くて朗らかで、他人に弱みを見せるなんて断じてしない、って感じだったから。以前の会話でもそんなこと言ってたしね。
あなたが背景にいろいろな過去、いろいろなつらさを抱えてたのは、知らないわけじゃなかった。
寄る辺ないたった一人、たった独りでの時間を長く過ごしたことも、あなた自身から聞いて、知ってた。いや、知ってたつもりだった。
けれど、それはもう過去のことで、今はあらたに得た家族に囲まれて、仲間に囲まれて、癒されて、幸せなんだと思っていた。思い残すことはあっても、もう過去に置いてきたことなんだと。
もう二度と、ひとりになりたくない。
なかば叫ぶように、搾り出すように、言ったね。
あんな悲痛な声色を聞いたのは、私の人生で後にも先にもない、あのときだけ。
あんな苦しげなそして寂しげなあなたの表情を見たのは、あのときだけ。
決して癒えない、「喪った者」の顔をしていた。
あの瞬間、捕らえられてしまったのだと思う。私は。
私のしたことのせいで、あなたの心のパンドラの箱の蓋を開けてしまった。図らずも。私はしでかしてしまった。
なのにその場で慰める言葉をもたなかった。無力だった。あまりにあなたのそれが重くて、私には何もできないと思った。
大丈夫だよ、私はいるよずっとあなたのそばにいるよ、独りになんか絶対しないよ、って、即座に心の中では語りかけていたのに。急に弱々しく小さくなったように見える肩を抱きしめながら。
…それが可能なら。そうしたかった。
私には私の人生があり、あなたにはあなたの人生がある。
あのときまだ、私たちの人生は短い間触れあっただけで、遠ざかろうとしていた時だったのよね。でも、遠ざかりながらも、毎日のように顔を合わせ、協力し協働していた。
抱きしめていたら、なにか決定的に違う道にはまっていたと今も思う。おそらくは、間違いなく互いにもっと遠くなるほうの道に。あのときの選択は間違ってなかった。
でも、あのとき、私は決めた。
今はまだ言えないけれど、この人のそばにいよう、いられるようになろう、と。
今の私はあなたにとって、そこまで意味のない人間で、そばにいるよ、と伝えたところで、響かない。あなたにとっては別にそんな嬉しくもないことのはず。そこまで親しくはなかった、あのときはまだ。
それに、物理的に近くにいることはできないんだ。あなたの一番そばにいる人たちはもう決まっているし、あなたはそれに満足してる。私も今の場所で今私のそばにいる人たちとともにいることを望んでいて、そこから動くことは考えてない。そして…きっとこの先、もっと物理的に遠くなるときがくる。
それでも、私に課せられた命運だと思った。ここに居合わせてあなたのこの想いを図らずも引き出してしまったこと。
君はこれを見たね、君のせいでこの人のこの姿を露わにしてしまったね。さあどうする?って、私の神様から課題を出されてしまったと感じた。
喜んで引き受けるわ。
もう何十年も前から、私の中にはこの言葉があった。
この言葉があったということは、この心があったということ。しばしば言葉は心と重なり合う。
そのことを今更ながらに思い出した。
ねえ、私の子供になって。
何十年前から、準備されていたのよ。私の内に、この言葉が。