わたしが目指す世界
僕が発達障害だと診断されたのは、
30代後半になってからだった。
子どもの頃は、授業中に暴れたり、
人の嫌がることを口にしたり、
よく周囲を困らせていた。
大人たちは、
僕をなんとかおとなしくさせようとした。
率直な気持ちを表現しようとすると問題になり、
止められる。
当時は理由も分からず、押さえ込まれていた。
大人が管理しづらい子どもだったと思う。
両親はともに公務員で、やはり”ちゃんとする”ことが求められる家庭環境だった。
家にも、学校にも心の置き場がない。
毎日、その日を生きるのがやっとだった。
自分より一日でも長く生きている人を見て、
すごいなぁと思っていた。
「共感覚」という言葉も、
やはり大人になってから知った。
僕は、音に対して、色や形が見える。
人を見て色が浮かんだり、
情景に匂いを感じたりすることもある。
昔はみんな同じなんだと思っていたが、
どうやら違うらしいということに、
成長につれ気がついた。
「僕は、どこか人と違う。」
ずっと、普通ではいられないことが
ダメだと思ってきた。
社会人になってからも、
結婚して親になってからも、
「他の人と同じようにできない」という
生きづらさは続いていた。
ある年、顔の神経がけいれんするという病気から、
脳の手術をすることになった。
幸い命に関わるものではなかったが、
その病をきっかけに、ずっと蓋をしていた
「本来の自分」と向きあうことになる。
自宅療養中、ふと手にしたスマートフォンで
絵が描けることに気付いたのだ。
それが<digitalアート>との出会いだった。
描いても描いても指は動き続け、
創造の世界が泉のように溢れ出た。
自ら押し殺してきた自分の心が、
色や形となって可視化され、
小さな画面上に解き放たれていった。
僕は、昔から秩序だったものが嫌いだった。
整然と並んだ積み木のような、
整ったものを壊したいという衝動がある。
僕は自分の中のそれを「いじわる心」と名付けた。
それは「普通」や「当たり前」を
壊したい気持ちと、とても似ている。
もちろん実際に何かを壊したりするわけじゃない。
けれど、「そんな気持ちを持っている自分」を認めて
あげてもいいと思うんだ。
僕はその「いじわる心」を、
そのエネルギーを、アートに向けた。
これまでの人生、自分の特性で
困ることも多々あったが、
今はそんな自分だからこその創作で、
人に喜びを与えることができるようになった。
今、ふたりの子の親となり、
考えることがある。
非定型発達や共感覚を持っていようとも、
持たずとも、
僕と同じような思いを抱え、
心が窮屈になっている子は、
世の中に少なからずいると思う。
「そのままでいいよ」
僕はその子に伝えたい。
伝え続けたい。
自分の中のどんな心もそのまま認め、
生きる楽しさを知ってほしい。
人と同じ型にはまらずともいい。
それぞれが違うからこそ世界は面白いし、
支え合うこともできるのだ。
僕はそんなやさしい社会を、
アートを通して、作っていきたい。
brand story writing
by @shinobu.library