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周りはともかく、猫と暮らしたかったもので

夫は猫がきらいだった。


結婚して、どうも野良猫への視線が厳しいのが気になっていた。庭に来る野良猫がうんちするもんだから、無理もない・・か。

一方、ずっと猫と暮らしていたわたしは、野良猫をみると声を掛けたり写真を撮りたくなったりする。だから見かけると、つい立ち止まる。

ある日、その様子を彼がよく思わなかった。

そしてあろうことか、猫がどっかいくようにわざと大きな音をたてた。

その瞬間、これまでの不満が爆発して、わたしはブチ切れた。


ついにブチ切れてしまった。


「ね、猫が何したっていうんだよおおおおお」と震えながら叫んだ。


その姿は、完全に化け猫だったであろう。


それからというもの、彼は猫に関して何かを言ったりしたりするようなことはなくなった。


そうなると、いつの間にか無理だと決め込んでいた「猫と暮らしたい」という思いが、ムクムクと立ち込めた。


「無理じゃないかもしれない・・」

そのために、わたしは作戦を練った。とにかく頭で考えるより、体験してもらった方がいい。それに、アレルギーがあっても困る。・・・そして閃いた。


「そうだ・・!猫カフェだ!!!」


猫カフェで久しぶりに猫とふれあうと、夫のことはそっちのけで完全にスイッチが入ってしまった。



「わたしは猫と暮らす」


そんなアファメーションを無心に唱え続け、気付けば空気清浄機を2台(夫はニオイを気にしていたから)、トイレやブラシ、ゲージなどを揃えていた。


その後「譲渡会に行ってみたい!」と伝え、一緒に見に行ってからは話が早かった。


2018年 当時1歳の玉三郎を譲渡。


2020年 知り合い宅で生まれた子猫を迎える。
虎太朗こたろうと夫が名付けた。


そしていつしか、夫と2匹とともにいる生活が当たり前となった。

うっかりすると、その暮らしを自分で「選んだ」ことさえ忘れてしまう。

けれども確かに望んだからこそ、今感じられる「情」がある


だから・・わたしは今ここで、キーボードを踏みつけられてrrrrrrrrrrrrrrrrrrrとなろうが、いくらくそ暑い夜に、足元に毛むくじゃらがいようが「コノヤローーー!!」としかめっ面ながらも、穏やかでいられる。


その穏やかさは、紛れもなくこれまで積み上げてきた「選択」の上に、どっしりと鎮座しているものだ。

ちょっとやそっとじゃぐらつきませぬ。


夫からすると、わたしの行動は半ば強引だったかもしれない。けれども彼は猫が本当にきらいなわけではなかった。


ただ「知らなかった」だけなのだ。

一緒に時間を重ねることで、出会った野良猫の写真を送ってくるようになろうとは、誰が想像しただろうか。



これだから、人生はおもしろい。




おしまい


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