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「雪の障子」 島崎藤村 を読んで。(青空文庫コラム)
(あらすじ)
語り手は雪が降ったことに喜ぶ。
この雪の中での動きが、昔の人が表現に凝ったことだ。
この寒さに耐えてよく生きる強さがあった。
(感想)
雪の日の記憶は、語り手の幼いときに結びついています。坂道の凍ったところで、氷滑りをしていたのだと。
「降ったばかりの雪は冷たいようで、実は暖かい」。
そして、「雪の中にはいろいろなものが隠れている」と言います。
鷺娘という古舞があります。語り手は、この物語にあるものが雪の世界あるものだ、と言っています。
鷺娘の物語は、鷺が人間の女になり、忍ぶ恋を歌いながら、とつぜん、自分は地獄に落ちる、と言い出す短いお話です。
恋がそもそも許されないのか、はたまた許されない恋だから地獄なのか。
その物語の中に「雪」の言葉が出るところがあります。
ふけども雪もって、積もる思いは淡雪の、消えては儚き恋路とや。思い重なる胸の闇、せめてあわれと夕ぐれに、ちら/\(踊り字代用)雪に濡鷺の、しょんぼりと可愛らし。
白鷺の羽風に雪の散りしく景色と見れど、あたら眺めの雪ぞちりなん。雪ぞ散りなん。
(引用 舞踏集 歌舞伎オン・ステージ 郡司正勝 編著 白水社)
美しい表現です。語り手はこの物語の動きが雪の世界を表していると言ったのだから、古舞の動きのことだとは思います。しかし言葉でも、十分伝わってくるような気がいたします。
この雪の世界とは具体的に何なのか? 語り手の知り合いの老婆がまだ娘ざかりのころ、松雪庵というもと尼僧の茶人の弟子だったのですが、この師匠が雪の夜でも若年なその弟子に、いつもお茶を立てにいくことを命じたらしいのです。
いまなら、虐待と言われるかもしれません(時代的に、松雪庵は、それを美徳と考えていたでしょう)。けれども、献身が尊ばれるのはいまでもです。
「娘の雪を踏みしめる足は、燃えたであろう。」
「まさにこの境地だ。過去にはこんな人達もあった。」
鷺娘の前出の古舞の言葉から印象する似た美しさを感じます。
もし、ひどい雪の中、あなたに会いにきてくれる人がいたら。
ここに隠れているものがなにか、おわかりですね。
最後に日本舞踏の鷺娘のYouTubeを参考までに、どうぞ。