すくいぬし
わずかに開いている窓から、茜色の夕方の景色が見えた。わたしは出されていたグレープのジュースが紙コップに入っているのを、少しの嫌悪感を持って、覗き込み、それを口にしたいとは思わなかった。
久野さんは、小さな台の上にあるカップ焼きそばができるのを待っていた。ちょうど、私が座っているところから、右斜め前の部屋の隅にある台であり、彼の体を横から見ている配置になる。
「あ、三分」
そう言って、蓋を剥がすと、男は、ソースをかける。躊躇もなく、素早く、お箸を手に取り、混ぜ、ズズズっと麺を啜った。
いくらか食べ終えると、落ち着いたのか、久野さんはやっと、こちらを向いてくれた。その目はキラキラと異様に輝いていたが、子供の純粋さというよりそのわがままさしか想像できなくて、わたしは、居住いを正した。
「だから、俺は捨てたのですよ……」
影から、声が出たような、低く、効き取りにくいものだった。しかし、久野さんは、そのキラキラの目をこちらに向けて、切迫したような真剣さがあった。わたしは息が詰まり、彼の向こうの窓を見る。鳥の群れが、飛んでいた。
「久野さん、何をですの?」
「俺という、全て、です」
逆さに牙の生えている鬼が笑うなら、このようじゃないかというような滑稽な顔つきで、男は笑った。それが、おかしいからなのか、自己憐憫なのか、自己揶揄なのか、はかりかねた。ただ、こちらも真面目な顔つきで、そうですの……と答えただけだ。
「俺は憎かったのです。助けてくれない、親も、兄弟も、恋人も。だからです」
もし、目の前にギリギリまで厚さを削ぎ落とした繊細なガラス細工があるとして、男は、それに同じようなガラスをぶつけて、その強度を試すような、どこかいやらしい攻撃性があった。わたしは、そのキラキラする目が、どうしても、引っかかってしまっていた。彼はもう、五十にもなる。まるで、甘え切った顔つきに、年齢との不均衡を感じるのだ。
「しかし、あなたは久野という名前を持っていらっしゃる」
「浮世のことですな。名前がないと、あなたも呼びにくい。私という存在を」
男は、自分の額をピシャリっと叩いた。まるで、痛いところをつかれたことへのごまかしに音を出したかったように。
「それで、あなたは何がしたいのですか?」
「ふむう」
キラキラ光る目が、一際、深刻な鈍い色を持った。男は勿体ぶったように、目を伏せ、それから、ゆっくりとわたしを見た。
「救済です。世界の」
「どうやって?」
「俺の存在を通して。俺の精神性による力によって」
そして、わたしはその部屋を出た。奇妙な疲労感はあるが、まだこれから、仕事は残っている。
次の患者へと向かった。
(すくいぬし 了)
下記、アリサカ・ユキが、SNSブルースカイで書いていた小説です。短い挿話がいくつか集まって一つの作品となっています。少女はある大人の女性に反発しながらも、心を寄せ合っていき、大切な友達を探します。Kindle Unlimitedで読めます。ぜひー。