おばあちゃんとのお散歩
私には、今月で87になる、おばあちゃんがいる。
私が高校2年のときから、二世帯住宅に引っ越し、一階におばあちゃんが住んでいる。
朝は決まった時間に起き、自分が大家さんをしているアパートの掃除する。活動的で、友人の家に行ったり、麻雀をしたり。身なりに気を遣い、いつもネイルをしていて、パーマもかかさずにかけている。
規則正しくて、元気で明るい。よくしゃべり、よくたべる。
うちのおばあちゃんはそんな人だ。
先日、そんなおばあちゃんが、来客用のお菓子を買いに行くと言うので、散歩がてらついていくことにした。
家を出たら、家の前にご近所さんがいた。
うちの家は、坂の途中にあるのだが、私の家の上のおうちの方らしい。
するとおばあちゃん、「お宅の家の柿の木の葉っぱがね、ぜぇーんぶ、ぜぇーんぶ、うちのところに来ちゃうのよ。」と。
めちゃくちゃ単刀直入なおばあちゃん。
ご近所さんは「あら、すみませんねぇ、気付きませんで」と言った。
私ならここで相手を不快にさせないよう、「いえいえ、いいんですよ〜」とかクッション言葉をはさみたくなるのだが、おばあちゃんは、
「そう。ぜーんぶ落ちてきちゃうの。」と。
「…ええええぇ?念押し?」
予測できなかった受け応えに、わたしはこころの中で動揺する。
なんだろう、この立場を決して譲らないスタンスは。この年代の人だからなのかな。ただすごいのは、クレーマーっぽくはないってこと。ねちねちしていない。スパスパ喋って、ただ全く相手の顔色を伺わない。同世代では感じることのない、不思議な感覚だ。
ご近所さんと別れると、家の掃除をしているおじいさんがいた。私たちに背を向けて掃除をしていて、顔は見えない。
私たちとの距離もまぁまぁあったのだが、おばあちゃん、「綺麗になりますねぇ」と一言。
「この距離で、その声掛け!?」
おじいさんも自分に声をかけられたとは思わなかったようで、私たちが通りすぎた3秒後くらいに振り向く。
おばあちゃんを見ると、聴こえてても聴こえてなくてもどっちでも良かったみたいで、周りを見渡しながら、前にとことこ歩いている。
今度は、前からおばあさんがやってきた。
私は、「この方もおばあちゃんの知り合いかな~」と思いながら、おばあちゃんの方を見る。すると、おばあちゃんvsおばあちゃん、お互いとことこ歩きながら、3秒くらい見つめあい、そして、すれ違った。
「あ、知り合いじゃなかったんかい!」
私はこころの中で、ツッコミをいれる。
ようやく目的のお店についた。店内でも、「大繁盛ですね」だの「こないだ買ったお菓子がおいしかったけど、ちょっと遠いから来るのが大変なのよね」だの、店員さんに話しかけるおばあちゃん。
「食べたいもの買ってあげるから選びなさい」と、もはや押し売りのような感じで、私にもメロンパンと、レモンケーキを買ってくれた。
そして店を出た。
時計を見ると、お昼前、11:45だった。
「12:15には帰れるかしらね」とおばあちゃんは言う。
普通に歩いて15分かからないくらいの距離で、おばあちゃんが寄りたいと言っていたATMによっても、30分は絶対かからないはずだ。余裕だろうと思った。
しかし、帰ったのは本当に12:15だった(笑)
というのも、帰るまでに、3人くらいおばあちゃんの知り合いに出くわし、そのたびにおしゃべりをしていたからだ。
私の頭の中では、おばあちゃんの知り合いに出くわしたと分かった瞬間、ポケモンのゲームで敵と出くわしたときのBGMが流れる。
早く前に進みたいのに、また捕まってしまった、そんな感覚に近い。(私がやっていたのは、金銀時代でした)
けど、こんなぐだぐだ書いたけど、総じておばあちゃんとの散歩は楽しかった。
おばあちゃんの行動、出会う人、そこでする話、すべてがいつも見ている景色と違い、新鮮だ。
「おばあちゃんは本当に知り合いが多いね」
私がそう言うと、
「当たり前よ、このまちに60年も住んでるんだもの。このまちにあるお店も昔からあるのは2軒くらいよ」と。
60年かぁ。。実際におばあちゃんが若いときから、この町で生活していたことを想像してみたら、すごく月日の重みを感じた。
人生の大先輩のおばあちゃん。いつも笑い話にするけど、自慢のおばあちゃん。
また一緒におでかけしよう。そして、おばあちゃん孝行しよう。