エレガントな日常/飲み込んだ言葉が連れてきてくれたもの
昨日の記事にていつも行くカフェでの店員さんの振る舞いやコーヒーの出来具合へのモヤっと感にささやかな抵抗した、と書きました。
そこにコメントをくださったのはnote仲間、色んなシンクロ仲間の
『高塚アカネ』さま。
「それ怒ってもいいですよー」。
その言葉はズドーンと私の心を射ってくださったのです。
優しくてド直球のなんとも心地よい矢を放ったアカネさん。
私は
「ぁぁぁ、、、そーだった。またやってしまったぁ、、、」
と白目をむいてヨダレを流して茫然としたいぐらいの衝撃でした。
私は怒りの言葉をゴックンと飲み込むクセがあり、つい最近も友人に
「こんなトラブルがあって大変だったのよ〜」
と何年か前のことを打ち明けたところ友人は大激怒しました。
「私が代わりにそこへ行って文句言ってくるわ!」
それを見た時に
(ぁぁぁ、、、私はまた怒りをゴックンしてたんだ)
と思うと同時に己の鈍感さをさておきムクムクと数年前のトラブルを思い出して歯ぎしりするのでした。
そして今回のカフェ事件も怒っていいことなんだよーと教えていただき、
ハッ!
と人生何度目の同じ気づきを繰り返すという、、、
だよね、だよねー。怒っていいんだよねー。
これは突き詰めると、相手に嫌われたくないとか、波風立てて自分が傷つきたくない保身から来ていたと思います。
(結局は我慢し過ぎて何年も傷ついたまま、、トホホ)
とまぁ、本当に感謝しかないコメントを頂戴したのでした。
その後、瞑想にて心を開放しては昨日私が飲み込んだ「言葉」を探しに行きました。
それを実際に口から出して、その時に感じた負の感情を息と共にエネルギーとして吐き出してハイヤーセルフへ委ねて一件落着。
あぁ、早めに対処できてよかった!
(いや、24時間後だから遅いけどね)
今日はちょっと気になるリサイクルショップへ行ってみました。
そこは徒歩30分強という遠さ。
最近、古着を2回買う機会があり、とても満足したからです。
私はさほど古着でも気にしないことを知りました。
なのでずっと前に行ったことのある割とオシャレなものばかり置いている古着屋さんへパンプスかブーツを見に行こうと思い立ったのでした。
久しぶりにジョギング用のスニーカーを履いてウォーキングです。
雨が降りそうだけど降らないちょうど良い気温。
テクテクと張り切って歩いて行くと、、、
あらまぁ。
古着屋さんはなくなっていました。
というよりビルごと解体されていました。
あちゃー残念。
でも往復小一時間歩けたのは幸い。
最近ジョギングもヨガもサボっていたのでいい運動になりました。
帰りにお気に入りのパン屋さんへ立ち寄ってお惣菜パンとオヤツパンをゲット。
この個人経営のパン屋さんは大好きなのですが、ちょっと遠いのと、午前中にほとんど売り切れちゃいます。
なかなかタイミングが合わない所だったのですが今日は時間帯が早めだったのと用事のルート上というバッチリの日でした。
お腹も落ち着いたところであらためて心と向き合いました。
(なんかもっと私が飲み込んだ言葉、私が怒っていることがありそう、、)
出てきました。
カフェのことでも数年前のトラブルのことでもありません。
信頼している大好きな人に対して飲み込んだ言葉でした。
その知人は知り合って日も浅いので本能的に(魂的に)信頼関係があるとは分かっているものの、まだまだコミュニケーションは足りていません。
「ちょっと気になるけど大目に見ている、なんか事情があるんだろうし」
ということがあったのですが、この「大目に見ている」というのがもはやキナ臭い。
導火線に火がパチパチついちゃってる感も否めません。
あーやだなー。
向き合うのヤダヤダー。
波風立てたくないよぉ〜、、、
って思えば思うほどにどんどんモヤモヤしてきました。
瞑想に次ぐ瞑想の1日です。
私の中に隠した言葉はなに?
どんな感情を飲み込んじゃったの?
いいから言ってみて。
それを言ってもネガティブなことは引き寄せられないからそこを信じて!
と1人で自分を励ましては言葉の大捜索をしました。
言葉と感情は無事発見されました。
問題はそこからです。
そのあと私はどう行動したら私は満足するのか。
何度も大捜索の末に発見した言葉や感情をハイヤーセルフへ託しました。
そうすると、ほどなくしてその想いが昇華されてスッキリするか、また戻って来たりするのです。
いやぁ〜なことに戻ってきました。
行動をするのが私らしいことという意味として捉えました。
(私らしい行動=相手にとってもベストになる)
メールで正直に伝えるのがいいとは漠然と分かります。
ただ、私はそこでスッキリしてもそれを聞いた相手はどう思う??
いやいや、本当に正直に言って私はスッキリするのかな??
もうね、これの堂々巡りです。
とりあえず、送る送らないかは置いておいて、スマホの「メモ」へメールの文面を書いてみました。
あわよくばその時点で気が済めばいいなという期待もあったからです。
こんなことが悲しかった、
困惑した、
具体的なエピソードも含めて書いてみました。
時にはお説教したくなる気持ちも出てきたのでそれもとりあえず全て書きます。
(ふぅ。書いた、、、)
メモ書きを何度も読み返してみます。
ちゃんと愛がある言葉か、
伝えたいことがすべて書かれているか、
などを確認しました。
コリャお説教だなーと思う箇所を削ぎ落としていくと私の気持ちもスッキリしてきます。
そして、そこからメールを送るまで何時間かかったのでしょうか、、、
こんなに迷ったことはないというぐらいにグラグラしました。
でも私の心を最終的に決めさせてくれたのはこんな根拠のない自信からでした。
「私はどちらにしろ喜びの世界へ行く船に乗っている。結果はハッピーになるって知っている!」
そのことを頭にふまえるとメールを送ったほうがいいと選択できたのです。
だってご縁が切れても繋がっても結果は万々歳ならそれでいいもんね。
日も暮れたあと、メモ書きをコピペしてポチッとメール送信をしました。
あぁ、ぐったり。
大仕事終えた脱力感です。
カフェのモヤモヤ事件がエサ??となって私の奥底に隠し持っていたものへと誘導してくれました。
考えてみたら、カフェの店員さんへは特に愛情もないので昨日のことをほじくり出して文句を言う気はさらさらありません。
でもその知人は大切だからこそ文句を伝えたいのかも、とも思いました。
胸の中が空っぽになった心地がします。
スッキリしたーとはまだ言いがたいですが後悔もないのでこのまま気持ちを整えていきたいと思いました。
私は今日もエレガント。