まじめな人
わたしは時折「まじめな人」と言われていました。
そのたびに心がチクンとなります。
今の言葉で言うなら
(あ。ディスられた)
と感じていました。
そしてこう思うのです。
(私の何を知っていて真面目だなんて言うの?
部屋もぐちゃぐちゃ、
掃除なんかほぼしない、
下品な下ネタなんてお手のもの、
お昼まで寝ているなんて普通、
朝帰りもしょっちゅうよ)
あ、朝帰りは音楽の仕事でライブ後の打ち上げね。
決してヤンチャなことはしていません。
(逆に奔放にヤンチャしてたって言ってみた〜い)
私が思う真面目と相手が思う真面目の意味がそもそも噛み合いません。
さらに私は主張出来ず、ゴクンとその言葉を飲み込んでいたのでした。
(たてつくと悪いと思って)
もしかしたら、この「飲み込む」ことが真面目ということなのかしら??
まぁ、色々と人に気を遣いすぎて
心のチクンチクンを貯金してたなぁ。
本当の私は、子供のころから机の上は隙間ナシ。物が山積み状態。
小学校低学年のころは顔も洗わず髪も洗わず、親に臭いと言われて洗う始末。(キャーっ)
渡されたプリントは持ち帰らず机の中へポイ。
溢れ出したら手前のものを少し持ち帰るというものでした。
大人になっても変わらず、机の上は相変わらず標高30cmの山。
たまに噴火しては雪崩れが起きるのでした。
今現在の掃除Love&ミニマリスト生活からは到底想像できません。
(人生プラスマイナス相殺なのね)
私にとって真面目な人とは
「生活習慣をきちんと行う人」
「清潔にしている人」
でした。
早起きして
顔を洗って
服にシワや毛玉がなくて
部屋を掃除して
料理して
運動してる人。
きっと
「憧れていた世界=真面目」
だったのかもしれません。
さっき、タイトル写真にあるビスケットを見つけてすかさず買いました。
(コレは美味しいに違いない!)
直感は大当たり。
塩気とほんのりとした甘さの素朴なビスケットです。
ポリポリ食べながら
パッケージに書いてある
「まじめなおかし」
の文字を眺めながら
「まじめ」
というものに
「まじめ」
に向き合ったオヤツタイムでした。
過去の心のチクンチクンは数年かけて一つ一つ丁寧に癒しました。
(しっかりとトゲのように意識にくっついていました)
なので今ならちゃんと言うことができます。
「はい。私は真面目です。
自分の心も人の心もとても大切に生きています。それがナニか?」
そんなわけで、このnoteにて私が押す「スキ」は渾身の真面目エネルギーが乗っかっています。
本気で心が動かされた記事にしか押しませんから。
うっとうしい程に重かったらごめんあそばせ〜うふふ。
お菓子を袋食いしている私は今日もエレガント。