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ルーツをめぐる冒険 下
こんにちは!キズつくのが怖いあなたの自己肯定感を高めます!
美容師/心理カウンセラーの鈴木均です。
前回の記事の続きです。まだご覧になってない人は読んでくれてると喜びます。
その日に実家に帰る事にした。
僕が持つ無価値感に向き合うために、子供の頃を知っている肉親に聞きたかった。
自分が認識しているとおりの子供だったのか?
車を走らせ国道を延々と進んでいく。ラジオからはbay FMが流れている。
10月にしては夏の残照を感じる日差しに辟易しながらもサングラスをかけて目を日焼けから守る(カッコつけたいんじゃなくて瞳が人より明るいから日差しが本当に眩しく感じるんです)
ふと何となく海が見たくなって本来曲がらない道を右折して田園地帯をぬける。
昔からそうだったんだけど、何となくモヤモヤしていたり何かを決心したい時によく海を見に行っていた。
ボーっと海を眺めていてただ波音を聞いているだけで落ち着いた気持ちになり前に進もうと思える力をもらってたのかもしれない。
その海岸はあの東日本大震災で津波が来た場所から少し離れたところだった。
昔に比べて海岸線が侵食されていき海が遠くなった気がする。
しばし海を眺める。昔だったらタバコに火をつけていた所だけど、残念ながら禁煙してしばらくたっている。
何となく海を眺めていたらざわついていた気持ちが収まって来たので車に戻った。
いつものルーチンなんだけど、実家に帰る時は日本酒の一升瓶を持っていく。
父と僕と義理の兄の三人で飲むのだか調子の良い時は空けてしまう。
もっとも最近、父もお酒がめっきり弱くなった気がする。
海から10分も車を走らせると実家に着く。
古い家で母屋は明治に建てられたと聞いている。何でもご先祖様は江戸の後期からこの地に移り住んできたらしい。
そんな環境で育っているので、古民家風喫茶などにいくと実家に帰って来たような気持ちになるのであまりありがたみがわかない。
車を止めてドアを開けると微かに金木犀の香りがした。懐かしい気持ちに包まれる。
飼い犬が僕の姿に気づき、かまって欲しそうにワンワン鳴いてくる。
いつも必ず一撫でしてから実家に入る。
父と母は居間にいた。
ただいまと声をかけて買ってきた日本酒を仏壇の前におく。
猫も飼っているのだけど僕の姿を見てびっくりしたような顔をして何処かに行ってしまった(嫌われているらしい、僕は好きなんだけどなぁ)
「おかえり。遠くまで大変だったね。疲れてないか?」
父が言う。
大丈夫、いつもの事だよと言って腰をおろす。
「あとでお姉ちゃん達くるから、髪の毛切ってあげて」
母が言う。
仕事がら実家に帰ると家族や親戚の髪を切ってあげている。切り終わるまでご飯にありつけないので、一人五分くらいのペースで髪を切らなくてはいけない。
その後、姉家族が到着ご飯をいろいろ用意してくれてテーブルの上は料理でいっぱいになる。
手際良く髪を切る作業を終わらしてテーブルに着く。
まずはビールで乾杯、その後日本酒を飲みながら心のざわつきをおさえる。周りでは両親や姉家族が料理を食べたりお酒を飲みながら話に花を咲かせていた。
良い光景だ。
幼い頃から何度もこういう光景を見てきた。
それは家族という単位の中で幸せな時間だった。
僕は両親からしたら手にあまる子だと思っていた。親の言う頃を聞かず、怒られてばかり、そして出来の良い兄と姉に比べられ褒められた記憶なんかない。
なので兄弟の中で一番の出来損ないだと思いずっと無価値感を抱いて生きてきた。
しかしそれは本当に事実なのだろうか?
心理学を勉強しだしてから初めて浮かんだ疑問だった。
そして意を決して母に聞いてみる。
「ねえ。今更こんな事聞くのも何なんだけど、僕の子供時代ってどんな子だった?」
母が答える
「懐かしい話だねー。うーん大人しくて聞き分けの良い子だったよ。親の言いつけは良く聞いてくれてたね。」
あれ?なんか想像してたのと違うな。
「いや、でも今でも兄さん、姉さんと比べられてよく怒られたの覚えてるよ」
母は首を捻って、そんな風に言った事をあったかなーなんていう。
何故か涙が溢れてきた。
「いやでも、そういう風に言われる事ばかりだったし、自分はダメな子だから人一倍頑張らないとってずっと思ってきたんだよ。褒められた記憶もなかったし」
姉が口をはさむ。
「それはそうだったねー。うちは褒める事をしない家系だったかも、私もあまり褒められた記憶ないもん」
コップに入った日本酒を流し込む。
やはり涙がとまらない。
姉は続けて言う
「私達のひいばあちゃんが厳しい人で病弱だったひいじいちゃんに変わって一家を取り仕切っていた。もちろん毎日怒ってばっかり、そんな環境だったから、おじいちゃんもおばあちゃんも父も嫁にきた母も辛い思いをしていたんだよ。
私が小学校高学年くらいで亡くなったから今でも覚えてるかな。だから私も褒められた記憶がないよ。」
そうか曽祖母の、いやひょっとしたらずっとこの家系はそうやってきたのかもしれない。
褒める事をせず、自分達の良いところも受け取り下手。
じゃあずっとそれが続いてきたってことか?
父さっきから無言で聞いている。
母が口をひらく
「お前がそんな風に感じてたなら謝るね。ごめんね。でも聞いてうち兄弟達はみんないい子だったんだよ。私達にとっては自慢の子供達だったよ」
父も静かにうなずく。
その言葉は僕の潜在意識にべっとりこびりついていた観念を揺るがしてきた。
もう何も言えなかった。涙で前が見えなかった。
何でこんなに涙が止まらないんだろう?
きっとみんな無価値感を抱えていたんだと思う。
僕だけじゃなくて姉や兄、両親もその上に連なる人たちも。
そういう時代だったとしかいいようがないのかもしれない。
その事を知りもうあとはしこたま日本酒を飲んでいました。
朝起きて居間にいく。
父と母がテレビを見ていた。
「昨日はありがとうね。聞けてすっきりした」
「あなた昨日はずいぶんお酒のんでたよね。
もう大丈夫なの?」
「うん。良く眠れたのでもう大丈夫」
そう。僕はもう自分のルーツがわかりかけてきている。
それは長く続く家系からの影響だったのだ。
支度を済ませて車に乗り込む。
いつも車が走りさるまで父と母が見送ってくれる。
「気をつけて帰れな。また来いよ」
父がそう言って手を振る。母も少し寂しそうな表情をして手を振る。
簡単に手を振り車を走らせる。
長い田園の道をまっすぐ車を走らせていた。
ぼんやり前を見ながら考える。
僕の中にある無価値感のルーツは、代々受け継がれてきた物だった。たぶんDNAに深く刻まれるてるんだと思う。
根が深すぎて完全に癒す事はできないし、それをなくしてしまうと僕が僕じゃなくなってしまうかもしれない。
だからこう考える。
もしまた強く無価値感に襲われる事があったとしたら?心にポッカリと穴が空いたような状態になったなら?
たぶん僕は心理学を学びその対処法を知っている。
無価値感を埋めようとして外側から何か取り入れても心の穴は埋まらない。
自分を大切にする事、そして内側から自分を満たしてそのエネルギーを使い
それを人に与え続ける事
そうやって生きていこうと思った日でした。
心なしか昨日までの暑かった日差しが、今日はとても優しく暖かく感じた。
長い文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。
ブログのつもりが物語チックになってしまい、文章を書く難しさを実感してます。
美容師/心理カウンセラー鈴木均でした。