私が今の仕事に就くまで。
私が社会人になってから、今やっている仕事に就くまで、結構紆余曲折があった。その間、14年ほど。
私が社会人になったのは昭和が終わりに向かい始めた1984年頃だった。その当時勤めたのは病院で使用する薬品を詰める「バイアル」と呼ばれるガラス壜を主に作っている製壜会社だった。そこでは「常昼検査部」というセクションに所属していた。ベルトコンベアで完成した製品を、光をあてて小さなヒビとか割れがないか目視で調べるのだが、居眠りグセが抜けない私はもっぱら、箱詰めされた検査前の製品をステンレス製のターンテーブルにあけて、ベルトコンベアに流す「箱出し」係を任され、更に壜の口が規定通り似できているか、プラスチック製の「ゲージ」で測る仕事もしなくてはならなかった。
ゲージを当てて、壜の口が規定通りならOK,そうでないものはNGだから、そこで取り除かなくてはならない。不合格品は検査装置の下で黒い川のように流れ動くゴムのコンベア部に捨て置かれる運命にある。そうした不合格品を誰にも見つからぬように、こっそり拾って作業着のポケットに収めてコレクションするのが、其の頃の私の、密かなる楽しみであった。
製壜会社は10年と続かず、入社から5年目でやめた。部署には「オバサン」従業員ばかりで、たまに若い人もいたが、そんな人でも中身が「オバサン」化していた。些細な失敗も告げ口し、コソコソと人の悪口を言い続ける。ある時、そんな従業員の一人が自分の顔を差して「○○キュー(某有名な漫画のキャラクター)顔」と抜かした。
内心、激怒した😡🤬🔥。其の従業員は美貌で、己を鼻にかけ、他人である私の顔面を嘲笑ったのだ。
あとで、私は密かに思った。
「アレは世にいう『外面如菩薩』と言う奴だな・・・🙄」。
人を救ってくれる菩薩のように優しく美しい面貌でも、中身は正反対で極めて残忍冷酷、というわけだ。まぁこれを言えば聞いたほうがどう思うかが全然読めないやつなんだろうな、とも、これも後付で思ったが。
と・・・そんなこんながあって壜会社をやめたあと、半年後にデータ校正を主に行う会社に勤めた。然し、これも5年位しか勤まらなかった。会社の都合と、近年における急速なデジタル化の進行の所為である。
其の次は某有名印刷会社の子会社で、印刷に回す原稿の校正検査(校正チェック)の仕事。ここでは先に紹介した2つより割と長く続いたが、やはりここも印刷という仕事の形態がアナログからデジタルに急激に進化した為、退職せざるを得ず、私は1年ほど「プー」状態になった。(失業保険には加入していたが)
「プー」状態の私は、あちこちの会社に慣れない手で書いた履歴書を持ち込んでは入社を申し込んだが、悉く(ある時はけんもほろろに、ある時はやんわりと)断られ…。
そんな日々続きだった私のもとに、母の友人だったKさんから「こういう会社があるよ。銀ちゃんなら真面目だから務まると思うよ」と言われ紹介されたのが、今勤めている、清掃部門のあるエンジニアリング系企業だった。
私は腹をくくった。
「職業に貴賎はない」と。
斯くして私は、この企業に就き、清掃の仕事を選んだ。
さて「この仕事を選んだわけ」というテーマの「答え」ですが、上に書いたとおりです。
トドのつまりは、あちゃらこちゃら勤めて、気づいたら今の仕事をやってました、というだけです😃🧹。
・・・悔いはないのか、って?🙄。そうねぇ・・・”ほぼ”ないと言ったほうが正答に限りなく近いかな😀。
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