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本日は・・・。

本日は雨降り。前日の夜から雨風の激しい時間が続き、なんと、夜が明けて通勤の時間になっても止むことなく、シトシトとピューピューが微妙な塩梅でミックスした気候のまま・・・😳😳。

こんな日に遠くの現場へでかけて、掃き拭き🧹とゴミ出しをせねばならぬとは・・・🙄。

雨☔と悪戦苦闘しながら、地下鉄🚇に乗って現場まで。着くと、作業場のマンションまで歩く。着替えて早速仕事!

時折強まる雨風の中、ゴミ庫の天井近くまで堆(うずたか)く積み上がったゴミ袋の山を崩して、集積所まで持っていく。…小一時間ほどでなんとか可燃ゴミの袋の山を集積所に移動させる事ができた。あとはエレベーターホールや風除室の掃き拭きなどを行い、マンションの清掃を終える。

作業着から私服に着替えて外に出る。駅に向かって傘が飛ばされないようにしっかり両手で柄を持って歩く。数分後、電車の中の人となる。

電車に乗りながら…今日はなんの日???🙄と頭の中で思案を巡らす。

今日、12月8日はいったいなんの日?・・・😳。

おぉ、そうだ!と、気づく。

今日は日本の近代史にとって極めて重要な出来事があった日なのだと。

旧日本軍が行った真珠湾攻撃(pearl harbor attack)を発端として、あのアジア太平洋戦争が始まった日なのだ、と。

私も含めて戦後生まれ世代の中には「真珠湾攻撃」「アジア太平洋戦争」についてあまり知らない人が多いだろう。昭和、平成と2つの時代を光陰のごとく過ぎて、令和の今となっては、遠いとおい昔の話でしかないだろう。

然しそんな遠い昔に、地球の東端が舞台の、とんでもない戦争の時代があったことを、確認のつもりで頭の中に留めておきたいと、私は思う。

それは今からちょうど80年前、1941年の本日午前7時…。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入(い)れり(中略)今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました」。

このニュースを聞いて当時の人々は、驚くとともに、ある人は欣喜雀躍し、ある人は「なんていうことをしてくれた!」と慨嘆し、またある人は不安に駆られたことだろうと思う。まぁ当時の様子を伝聞するに「世間の大多数はまもなく祝賀ムードに包まれていった」ということらしい。

ゼロ戦による奇襲攻撃があったパール・ハーバーには、今も戦艦「アリゾナ」が爆撃沈没当時の姿で、海の底に横たわっている。

当初の祝賀ムードも束の間、物資不足に悩まされた日本は次第に窮地に陥っていく。そして・・・。

空襲。原爆投下。終戦。

日本人だけでも310万人(軍人・軍属が230万人、民間人が80万人)もの人々が亡くなり、それも戦争末期の1944年に集中し、空襲で亡くなったり、餓死、海没による水死、特攻による死が殆どだったとの推計がある。

2度の原爆投下も含め、この島国世界だけでも実に大多数の犠牲者を出した、アジア太平洋戦争。それを真珠湾攻撃という、謂わば「不意打ち」でおっぱじめた当局の人間たちの責任は、彼らが死んでもついて回るように思われてならない。

私達は不戦と平和のために様々なことに取り組むとともに、自分たちの国の、当時の為政者や著名人、一般大衆があの戦争を熱烈に支持した事実があったことを忘れてはいけないし、「なかったこと」にしてはいけないと、常に心していかないといけないな…と、電車🚇に揺られながら考えていた。

いやぁ・・・今回は重たい話になってしまいました。それでは、また🖐😊。

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