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自分に完璧を求めすぎる病。

最近、「好き」という感情がわからない。
「可愛いから付き合う」これは条件的な愛情だ。
でもこの感情はすぐに薄れてしまう。

また新しい刺激を求めて、出会いを探す。この繰り返しだ。
〇〇だけど、好き」これが本当の愛情だと聞いたことがある。
その境地に至れていないのは、なぜなのか?

一つの仮説は、「自分自身を無条件に愛せていないから」だ。
自分に対しても「優れていれば好き」という条件的な完璧さを求める。
すると、相手に対しても同じように接してしまう。

相手の問題ではなく、自分の問題なのだ。

皆さんは「愛着障害」という言葉をご存知だろうか?
幼少期に親と適切な愛着を形成できず、大人になってから人間関係に問題が生じる状態のことである。

人間性や能力の点でも、愛される資質や魅力の点でも、積み重ねてきた努力の点でも、彼らは決してひけを取ることはない。むしろ優れている点もたくさん持っている。なのに彼らは、自分には愛される資格も生きる資格もないように思ってしまう。こんな自分なんか、いらないと思ってしまう。
自分のことをとても愛しているように見えるときでさえも、実は本当には愛せていない。本当には愛せない自分だから、理想の自分でないとダメだと思い、自分に完璧を求める。自信に満ちて見えても、それは、ありのままの自分を隠すための虚勢にすぎない。

「愛されるためには価値を出さなければ」そう思って生きてきた。
でも、一度価値を出せたとしても、愛情をもらい続けるために努力し続けなければいけない。だからどこかで疲れて動けなくなる。
恋愛でも仕事でも、自分の根本にある問題は愛着障害なのではないかと思う。

さて、この厄介な敵とどう向き合うか。
正直、克服したい。

本を読み漁ると、日記やブログを書くことで安定できると書いてあった。
自分の気持ちをありのままに表現し、書くという行為が自分を客観視させる。太宰治や夏目漱石も、書くことによって自分の心を保っていたそうだ。

他人のためではなく、自分のために書く。

このnoteに少しずつ自分の気持ちを綴って、この障害を乗り越えていきたい。

(愛着障害についてより詳しい内容を書いた記事はこちら)


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きむら ゆうすけ
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