あたまの中を、まるっと入れ替えてみる。
去年、仕事を辞めて、なんだかいろんなことを考える時間ができた。
当時はあたりまえに思っていたことなのに、時間が経つと、違和感を覚えることもある。
組織の中にいる時、違和感を覚えることは時に危険だ。
それが、より良くしていくために、現状と未来の間に生まれる違和感なのであれば、問題はない。どんどん向き合って、言語化して、行動に移していくといいと思う。
だけど、もし、それが、組織と、本当は思っていること、との間に生まれた違和感なのであれば、ちょっと厄介だ。
自分の気持ちを聞いてあげて、落とし所を見つけてあげる。
大抵は、組織がわたしの言うことを聞いてくれることはないのだから、
わたしが、わたし自身に言い聞かせるのだ。
「ここを選んだことは間違っていないよ。このまま進んでいけば、間違いないよ」
そうやって言い聞かせて、ごまかして、生まれた違和感を消そうとする。
だけど、ちょっと厄介なものを押し込めて、どこかに流し込んで。
それでなかったことにしようとしても、流れ流れて、どこかに溜まってしまう。
気づかないうちに、ドロドロのモヤモヤになって、溜まっていってしまう。
必死に言い聞かせているうちに、「うん、わかったよ、それでいいよ」と言ってるうちに、どこかに溜まって、詰まっていく。
わたしがちょっと思ったことなんて。
これからの長い人生に比べれば、組織や世の中と比べれば。
ちっぽけ過ぎて、どうでもいいことだ。
それを高らかに声を挙げて、主張することでもないと思う。
みんな、何かしらのモヤモヤを抱えながら、押しこんで、流しこんで、前に進んで生きていく。
だけど。
せめてわたしくらいはちゃんと聞いてあげないと。
自分ですら、自分の思っていることを聞いてくれなくなってしまったら。
頭も心も、みんなすべてを放棄し始める。
「どうせ聞いてくれないんでしょ」
「どうせ、無理やり押しこめるんでしょ」
頭と心が反抗して、言うことを聞かなくなってくる。
そうなったら、大変だ。
「これくらいあたりまえ」って無理をしすぎると、手遅れになってしまう。
リセットして、「もっかいがんばろう!」って状態まで戻すには、時間がかかる。
誰かと話したり、体を動かしたり、どこかに溜まって詰まってしまったドロドロのモヤモヤをキレイにして流さなきゃ、もう、元には戻れない。
もしかしたら。
何か、便利なものを使って、シュワって溶かして、余分なもの全部消しちゃって、キレイにすればいいのかもしれない。
だけど、そうしたら、本当は残しておきたかったものすら、全部キレイさっぱり流してしまうかもしれない。
だから今は。
とにかく、誰かに聞いてもらう。
「こんなこと」って思ったことも、ひとつひとつ、言葉にして誰かに伝えてみる。
特定の人だと負担になってしまうから、いろんな人に分担して伝えて聞いてもらう。
それと同時に。
とにかく、本棚の中身を入れ替えてみる。
今まで知らなかったこと、興味のなかったこと。
手当たり次第読んでみて、「そうなの?!」「そうかも!」を増やしていく。
そうやって、頭の中を、まるっと入れ替えてみる。
そしたら、少しずつ、自分にも見えてくる。
あの時、あれを放置したやつが、腐ってドロドロのヌメヌメになったんだなー。
あれは、もしあんな風に対処できてたら、きれいに処理できていたのかもな。
もうちょっと、できたことがあったのにな。
きっともうすこし、できることがあるな。
そんなひとつずつが、これから生きるための教訓になる。
ふーっと覚悟を決めて、全部捨てて、全部入れ替えたら。
本当に大事にしたいものが、ひとつひとつ見えてくる。
自分ができることも、大切にしたいものも、大事にできることも。
どれも、がんばったって、両手で持てるくらいのものだ。
ちっぽけな自分だから、かけがえのないひとりだから。
ちゃんと自分の声を聞いてあげて、大事にしていこう。
怠けているならおしりを叩いて、無理をしているなら背中をなでてあげて。
そうやって、せめて自分くらいは、ちゃんと自分のことを見てあげよう。
そうすればきっと、いい仕事も、いい関係も、ひとつずつ築いていけるはずだ。
会いたかった人達、一人ひとりに会いながら。
新しい本を、一冊いっさつ読みながら。
なんだか、なんとなく、そんなことを思ったりした。