横断歩道で出会ったおばあちゃんから学んだ「返報性の原理」
「すみません、ここに行きたいんだけど、わかるかしら?」
人で混み合う池袋の横断歩道。
チラシを配ったり、勧誘したり、いろんな人が多いから、普段は、声をかけられてもあまり反応しない。
だけど、その日声をかけてきたのは、おばあちゃん。
大きな文字が表示されるスマートフォンを握りしめ、その画面には地図が表示されている。
見てみると、ここから随分近い。
「えっと、ちょっと待ってくださいね」
そう言いながら頭の中に必死で地図を描く。
あのお店はたしか閉店したはずじゃ……
でもそのお店なら、地図ではもう少し遠いはず。
「たぶん、地図で見るとあの先の角を曲がったところだと思うんですけど……」
でもどうも自信が持てない。
「あの辺りかしら? ありがとうね……」
答える方が半信半疑だから、聞いたおばあちゃんも不安そうだ。
「わたしも、向こうに行くので一緒に行ってみますね」
そう言って、おばあちゃんと歩き始めた。
「あなた時間は大丈夫? ありがとうね」
「はい、通り道ですし、すみません地図見てすぐわかればいいんですが、行ってみないとわからなくて」
「ありがとう、助かったわ」
そんな会話をしていると、突然思い出した。
「あぁ、あのお店か!」
なんだ。そのお店なら何度も行ったことがあるじゃないか。
前の仕事が終わった後、
「もうここしか開いてないね」と、何度も何度も会社の人と行ったお店じゃないか。
ひとりでお昼や夜ごはんを食べる時も、友達とちょっと外に出た時も。
何度も行ったことがある。
池袋には同じチェーン店が2-3店舗あることは、よくある。それをすっかり忘れていた。
「お店わかりました! ただすみません、こっちからどうやって行くか、自信がなくて。もし遠回りしていたらすみません」
そう言いながら頭に浮かんだ候補の3つくらいの通りを、
ーー当たってくれ当たってくれと願いながら頭の中で必死に探って行く。
「あ、ここです、ここ曲がったらあります! そうですそうです、この回転寿司屋さんの角です!」
そう言っておばあちゃんと歩いてくると、目的のお店の看板が見えた。
「よかった、あそこです! すみません、ちょっと遠回りしちゃったかもしれません」
そう謝ると、
「そんな、本当によかったわ。どうもありがとう」とやさしく微笑んでくれた。
短い時間だったけど、冒険を共にしたおばあちゃんに手を振って、わたしはわたしで自分の目的地に向かい始めた。
そこで、はたと思ったのだ。
……なんでわたし、あそこまで一緒に行ったんだろう。
そりゃ、特に約束もないから急いでなかったし、そんなに遠くもなかった、のもある。
それにわたし自身が方向音痴だから、携帯の地図を見ても、行きたいところにたどり着けず困ったことが何度もある。
だけど、道を聞かれた人みんなにそこまでしたかと言ったらそうではない。
そして気づいたのだ。
……あれが、「返報性の原理」ってやつか。
おばあちゃん、すごいな。
それから、こうも思った。
今は、誰かの成功法則を、書籍とかネットとかセミナーとかですぐに学ぶことができる。
効率を上げるために、生産性を高めるために、時間をムダにしないために、
だれかの方法論を生かして、悩む時間を省いて、実践していくことができる。
だけど、失敗することや、悩む時間は、本当にムダなんだろうか。
すでに誰かが見つけている法則や方法論であったとしても、
自分でも時間をかけて、失敗しながら悩みながら見つけていってもいいんじゃないだろうか。
それが結果的に、世の中ではすでに広く知られていることであったとしても。
最初から答えを知って、何も考えずに手だけ動かしているよりも、
頭も手も足も動かして、時には傷だらけになって、そうやって見つけていったら、納得度も、習得度も、満足度も、全然違ってくるんじゃないだろうか。
例えば、「ブランディング」するために、戦略的に自分の行動を制限していくよりも、ムダなことを含め、失敗も含め、ついやってしまう、そんなことから、「自分らしさ」がにじみ出てきて、それが積み重なって、気付けばそれがその人のブランドになっていくんじゃないだろうか。
随分遠回りだし、面倒だし、時間も手間もかかるやり方かもしれない。
だけど、そういうやり方や、生き方が、好きな人も、いるかもしれない。
いや、きっと、わたしは、そっちが好きなんだと思う。
地図にナビしてもらいながら、何も考えずに進んでいくよりも、
はじめて会ったおばあちゃんと一緒に冒険しながらお店を探すのは、すごく楽しかった。
それに、いろんな気付きもあったし、ただ歩いてるだけでは得られなかった学びもあった。
だから、もちろん仕事をする時には、生産性や効率を求めることも必要。
だけど、それもきっと手段のひとつでしかなく、絶対ではない。
ムダを省くことが最短のゴールかと言えば、そうとは限らない。
うさぎとカメみたいに、カメのほうが速くたどりつけることだってあるんだし。
せっかく便利な世の中だから、より良くするために使えることは見極めて活用して、それでいて、面倒でも一から自分で経験したほうが良いときだって、きっとあるんだろうと思う。
「あなたに聞いてよかったわ。だって、優しそうに見えたから」
それは、一緒に歩いている途中で、おばあちゃんが言ってくれたこと。
そんな嬉しいことを言われたら、最初にほめられてしまったら、途中でぽいって放棄するわけにはいかない。
期待に応えるために、鼻の穴ふくらましながら喜んで道案内してしまう。
それは、ビジネスでも使われている「返報性の原理」にも当てはまると思う。
人は、何かを最初にもらうと、お返ししたくなる習性がある。
だから、ビジネスでは、まずは自分から相手に与えましょう。
そうすれば、相手もそれに応えてくれる。
例えば、最初に割引をすることで、相手が買ってくれる可能性が高くなる。
最初に相手が喜ぶことをすれば、こちらの条件を飲んでくれやすくなる。
そうやって、ビジネスをスムーズに進められることができる。
それを、知っていて活用すれば、便利なこともきっとあると思う。
だけど、あえて使っていくのではなくて、後付けで「あぁ、これがそうか」と確かめることでもいいと思う。
例えば、おばあちゃんは「返報性の原理」を使おうと思って、わたしにそんな嬉しいことばを言ったわけではないだろう。
きっと、素直に思ったことを口にしただけだと思う。
だけど、長年の経験の中で、人が喜ぶことは口にしたほうがいいということを、感覚的に理解していた可能性はある。
人と人との関係における原則は、何も難しいことばかりじゃない。
誰かが生きている中で起こったことを振り返って考えた時に、「そういえば、こういう時は毎回こうなんじゃないか」と研究したところから始まっていると思う。
だから、必死に勉強をして実践することも大事だけど、目の前の人と真剣に向き合う。常に、相手に対して真摯に前向きに寄り添っていけば、難しい本を読んで学ばなくても、誰かの見つけた成功法則のマネをしなくても、自分で発見したり気づけることは、きっと、あるんだと思う。
そんなふうに思えたらきっと。
人との垣根も、少しずつ低くなっていくんじゃないかな。
ビジネスマンだから、とか、正社員だから、派遣だから、フリーターだから、とか。
男だから、女だから、専業主婦だから、学生だから、とか。
「こんな肩書を持っているから」ということにこだわらずに、
一人ひとりが、自分であることを、もう少し、大事にできるんじゃないかな。
肩書きは別に、何ができるか知ってるかとか、優劣を表すものじゃ、ないと思うから。
成功法則をたくさん真似して、近道して、自分もそんな存在に近づいて、
そんなことばかりやっていたら、見えなくなってしまうこともあるかもしれない。
だけど、「我以外皆我師」なんて言われるように、世の中、自分以外はみんな自分の先生だ。
偉大な人ばかりだけじゃなく、道端で偶然出会ったおばあちゃんから、ビジネスでよく言われていることを、学ぶことだってある。
だから。
どんな時でも謙虚に、どんな時でも真剣に。
そんな姿勢で、生きていけたらいいな、と、そんなことを考えた。
これからは、道に迷ってる人がいたら、寄り添ってみよう。
だめな自分を変えたくて、時間に追いかけられて、何も見えなくなるくらい走り回ってばっかだったけど、もう少しゆっくり、自分のペースで、歩いてみたいなと思う。