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なんのために書き、何のために、読むのか。

誠実さだけじゃ、飯は食えない。
きっと、そうだと思う。
誠実な仕事をしたいなんて、理想論かもしれない。

春以降、物理的に外に出る機会が減り、人と会うことも少なくなった。
今年1年を振り返ってみても、
記憶は全部、白い壁に囲まれた狭い部屋の中での出来事ばかり。
思い出の風景が、ここまで変わらないことなんて、人生でなかなか無いことかもしれない。
そうなるとつい、スマホを眺める時間が長くなる。
何か新しい発見は無いか。
何か、希望の持てる情報はないか。

刺激を求めて、インターネットにアクセスする。
遊びに行けないから、家の中で、別の世界へ移動する。

だけど、そんな人たちが集まってくることを見込んでか、実際は、不安を煽るようなニュースや、心ない記事に傷つくことも多い。
本当かどうかもわからないようなことに、反応する批判のことばも、たくさん溢れてる。
部屋の中の退屈に疲れて、別世界のインターネットに逃げ込んだのに、結局、頭も気持ちも疲れ、なんだかぐったりしてしまう。

もう、そんなことも、すっかり慣れてしまった。
そんなことが、日常になってしまった。

だけど。

ふと目にした記事に、久しぶりに心が動いた。
文字を綴ることで、こんなにも、誰かの心を震わせることができるんだ。
いつぶりだろう。
そんな感覚を味わえる体験をしたのは。

インタビュー記事ではないから、話の中心人物達のことばは、出てこない。

それなのに。
まるで彼らがそこで笑い合っていたかのような、
まっすぐな瞳で語っていたかのような。
そんな、本人達の世界観、温度感が、そのまま伝わってくるような記事だった。

嫌な思いをするから、ネットのニュースは控えよう。
読んじゃっても、信じないで反応しないようにしよう。
そんな風に思っていた。
でも。
インターネットは、あくまで伝えるための手段。
簡単に発信できるから、熟考せずとも、ポチッと簡単に情報を流せてしまう。
だけど。
直接は出会えない、触れることのできない、
どこかにいる誰かに届いてほしいと、
真剣に真摯に書かれた記事だって、もちろんある。
もちろん、あるんだ。

そもそも、そうだ。
最近、朝の連続テレビ小説『エール』では、戦争のシーンが続いていた。
その中で、何度か、手紙を書くシーンが描かれた。
戦地に行く前に、未来に希望を託して書かれた手紙。
せめて、今の想いを残したいと、書かれた手紙。
本人は遠くに行ってしまっても、
本人とはもう会えることがなくなってしまっても、
手紙を通じて、その人の想いは、きちんと相手に届けることができる。
目の前で触れ合うことが出来なくても、
想いの熱さ、手を握るぬくもり、あの人のにおい。
そんなことすら、文章は、伝えることができる。

大袈裟な文章や心無いことば。
残念ながら、避けても避け切れないほど、溢れてしまっている。
だけど。
届けるために、伝えるために。
真摯に書かれた文章も、かならず、存在している。
かならず、あるんだ。

自分は、なにに対して誠実でありたいのか。
何のために、誠実でいようとするのか。
そのことを忘れず、意図を持って情報と付き合えば、誠実なことばと共鳴することができる。
その軸さえ失くしてしまい、情報に流されてしまっては、あまりにもったいない。
刺激だって、楽しみだって、発見だって。
自分で選んで、自分で感じるんだ。
どんな環境にいても、どう生きるかは、自分次第だ。

そんな風に思える体験ができたのも、
いつもと変わらない白い壁の小さな部屋の中。
つまらないと決めつけてしまったのは、自分だ。
読んでいない本は山積みだし、
外に出るからとつけなくなったお気に入りの香水だって、気分の上がる薄いみどりのワンピースだって、地元の大好きな羊羹だって、
この小さな部屋の中に、ちゃんとあるのに。
それに、インターネットにアクセスすれば世界とだって繋がれる。
全部、自分次第だ。

あぁ、久しぶりに、いい文章と出会えた。
誰かに伝えるために書くことも、
誰かの想いを受け取るために読むことも、
その先にいる誰かを想像することも。
すべてには難しいかもしれないけれど、
せめて。
誠実な仕事をしたい、真摯に生きたいという気持ちだけは、こころのどこかに、持ち続けていたい。

コロナ禍で際立つGLAYの強さ “ピンチをチャンスに” - エキサイトニュースhttps://www.excite.co.jp/news/article/E1603173385642/




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