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敗北論
人生は勝負の連続だ。そう思って生きてきた。
小学校から野球をはじめ、試合はもちろんのことチーム内でもレギュラー争いがある環境に身を置き、野球をやめてからも、受験戦争、就職活動、出世争い…などなど
人生における様々なイベントを戦いととらえ、そんな中で、
どうやったらこの勝負に勝つことができるのか?
ってずっと考えてきたけれど、就職してからその考え方が自分自身をずっと苦しめてきたことに割と最近気づいてしまった。
一体俺は何と戦っているのだろう?
そんなに深刻に考えたわけではないけれどやっぱり何かに勝たないとという強迫観念は自分自身をすごく締め付けている気がして、
・素直に負けを認めてしまおう
・自分にとっての勝利の定義を明確にしよう
・勝つことじゃなく勝負を楽しもう
をもっと大事にしようと考え方を変えてみることにした。
しょうもない人生哲学だけど、多少生きやすくなったのかなとも思うので正体の見えない生きづらさに悩んでる人の一助になればいいなと思いまとめてみることにした。
素直に負けを認めてしまうこと~勝てるかなと思っているときはきっと勝てない~
趣味程度にFXをやっているのだが、負けるパターンは大体決まっていて、
「感情が入ってしまうこと。」
だったりする。
投資などは特に、冷静に状況を分析して、ここなら勝てると確信できるタイミングでしか勝負してはいけないのだけれど、一回負けてしまうとどうにも負けを取り戻そうと、勝てるんじゃないかというあいまいな状況で勝負に出てしまう。
結果負けが込む。
恋愛でもそうで、振られたくないから積極的にアプローチを続け結局引かれてしまってその恋は終わりを迎える。
結局何においても執着をしてしまうと周りが見えなくなってしまいズルズルと負けを引きずってしまうのだ。
相場も恋心も移り気だ。こちらがいかに勝ちたいと思ったとしても思い通りにはならないのだから。
僕の人生、勝てるかもで挑んだ戦いはことごとく敗北の歴史だったりする。
倒れても倒れても起き上がる姿をかっこいいとも思っていたがそれは最終的に起き上がれる人間だからかっこいいのだ。
僕の場合、倒れても倒れても起き上がっているうちに無為に時間が過ぎて行ってしまうことがあまりにも多すぎた。
ここまでやったんだからしょうがない。
と割り切ってしまって、さっさと次の勝負に切り替えてしまったほうが執着もしないし時間も取られないし自分には合ってるんだなぁ。
気づいた時にはもう30だったけど。
自分にとっての勝利の定義を明確にすること~人間はみんな敗北者~
こんな意識の低い人間がと思われるかもしれないが、一応管理職をしている。
それなりに出世をしてくると、なんで自分より仕事のできない人間、自分より成果の出ていない人間が高い給料をもらっているのだろうと腹立たしく思うこともある。
僕の会社の社長は平気で、
給料はその人の価値です。
なんてことを言うが絶対にそうじゃない。
たまたまそういう環境にいるからそれくらいの給料しかもらえないのだ。
零細企業でバリバリに仕事ができる人と大企業でダラダラ過ごしてきて年を取っただけの人間どちらが優秀かと問われれば前者だろうし、極論優秀なジンバブエ人より無能な日本人のほうがお金を稼げているケースのほうが多いでしょ?
転職の勧めみたいになってしまったが本当に言いたいことはそうではなくて、例えばどんなに頑張って出世争いをしたとしても社長にならない限りはその会社で勝利者とは言えないし、社長になったところでもっと大きい会社の社長よりは稼げていない。
そしてその勝負のいきつく先にはとてつもなく努力をしてきている天才が待ち受けているのである。
そしてその天才たちも仕事はできるかもしれないが、もしかしたら家庭では尻に敷かれているかもしれないし、ほかの局面においては必ずしも勝利を収めているとは限らないのである。
重要なのは仕事ができることでも高い給料をもらうことでもなく何をもって自分が満足できるのかなのだと思う。
大事なのがお金なのであれば転職するもよし、副業をするもよし。
必ずしも出世しなければいけないわけではない。
一番手っ取り早く稼げる方法を模索したほうがいい。
お金じゃないものなのだとしたら何が自分にとって一番大切なのか。
その何かがどういう状態になれば満足できるのかを考えて行動するほうが仕事を頑張ることよりもずっと大事だ。
勝つことじゃなく勝負を楽しもう~たまに立ち止まったっていいじゃない~
子供のころ任天堂64のゲームなんかは特に勝っても負けても楽しかった記憶がある。
世の中いろいろな勝負の土俵はあれど結局のところ戦っていて楽しいってところで戦うのが一番いい気がする。
一緒に戦う仲間が楽しいでもいいし、そもそも本当にやりたいことをやれてるって人はそれだけで楽しいはずだ。
そういうことが見つからないって人は一度立ち止まって、何のために戦っているのか、何をしているのが楽しいのか、普段何をしている時が楽しいのか等々一回考える時間を作ってほしいな。
道に迷ったら地図なりナビなり見ることって普通だと思うんだけど、人生になると流されるがままにどんどん深みにはまっていく人が多いように感じる。
人生長いとは言わないけど立ち止まって道を確認するくらいの時間はあるはずだ。
できることなら勝っても負けても楽しかったといえるような勝負を続けられる人生にしていきたいし、みんなの人生もそうなればいいなと思っている。
最後に
結局のところいろいろ書いたがこの世界は勝利にどん欲に勝ち続けていける人間が有利になっている。まぁ頑張っているから当然といえば当然なのだが…
けれども自分の考え方ひとつでルールなんて簡単に捻じ曲がる。
子供のころじゃんけんに負けたやつが負けるが勝ちと言って勝手にルール改変するがごとく負けの数々も勝手に勝ちにしちゃえばいいのだ。
社会的に見たら負けだとしても自分の中では勝ちにしてしまえば生きづらい世の中も少しは楽になるんじゃないかな?