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大日本市のプロのカタリベになりました。

この度、中川政七さんの展示会である大日本市で「プロのカタリベ」という企画でお誘いいただきました。

簡単に言うと、出展者さんの製品を使用させていただいてレビューするっていう企画なんですが、他のカタリベメンバーの皆様とわたしが一番違うのは、自分自身が商品を企画し、販売までする会社を営んでいるということ。

つまり、レビューさせていただく出展者と立場は同じなんですよね。こういう依頼って、自分が同じ立場ということもあって、正直に言いにくい部分があったりするので、基本的にいつもお断りさせていただいているのですが、今回お受けした理由は、去年拙著「ALL YOURS magazine vol.1」で書いたことが大きな理由です。

その一節を引用します。

最近、自分が持っているものを棚卸している。むしろそれは持ち物を整理しているというより「自分自身を見つめ直す」という行為をしている感覚である。私も38歳。人生を70年とすれば、折り返しのヘアピンカーブを曲がり切ってしまっている。
 そして、その半生を思えば、「買い物」という行為は私の中でとても大きな要素を占めていて、それは音楽や楽器、ファッション、アウトドアアクティビティなど、「ある目的を達成する」ための買い物ではあったが、「買い物それ自体」がいままでの私の人生において、最も楽しく、のめり込んだアクティビティだったような気がする。
 「モノ」に対する愛情はもはや「執着」に近いものがあったし、その愛情は「性欲」にも近いくらいの物欲であったとさえ言えるのかもしれない。それがどこから湧いてくるのか、自分でも皆目見当がつかない。もはや「前世の業」であるとしか説明ができないくらいである。しかし、ここへ来てこんなことを考えた。

 そんなことをぼんやり考え始めたのは、コロナで家に引きこもらざるをえない状況が続いたからだろう。全くもって「暇」というものは人に妄想とクリエイティビティを与えてくれるものだ。そう考えたら、本当に「自分が心から良いモノ」と思えるものだけで過ごしたい。そんなふうに思い、いま自分が持っているモノの整理を始めたのである。

神は細部に宿るから。
 自分のスタンス、スタイルを反映したものが「持ち物」であると私は考える。持っているモノや身につけている衣服が(望むと望まざるとに関わらず)その個人のパーソナリティの一部を規定してしまうのだ。
 たとえば、私は「ボイスレコーダー」を持参するインタビュアーの方が大好きである。
今時スマホでも取材音源は録音可能だ。いちいち専用のガジェットを用意する必要は、はっきり言ってない。でも、そんな時代にわざわざボイスレコーダーを持参するという行為は、人前に出す「ボイスレコーダー」というプロダクトを介して、編集・ライターという「仕事」に誇りを持ち、原稿が生まれるプロセスすべてに「完璧なクオリティを求めている」ような気概を感じ、インタビューを受ける側として「敬意を持って接しよう」というモチベーションが勝手に生まれてくる(さらにそういう人はスマホをバックアップとして録音している人が多い)。
 そして、そのボイスレコーダーのブランドが「ズーム」であれば「あ、音楽が好きなんですか?」という会話が生まれたり、「オリンパス」であれば「めちゃデザイン良いですよね。デザインお好きなのですか?」など、バックグラウンドを共有することにより親密な会話が生まれ、そのインタビューが最高のものになってしまったりする。
 私はそういうパーソナリティを持った人と一緒に仕事をしたいと個人的に常々思っているので、その人のモノに対する思い入れやこだわりに異常に関心がある。だから、そういうことが気になって仕方がない。ただお金をかければ良いというわけではない。実際はモノそれ自体よりも、その人なりのセンスや解釈に価値があると思っているので、その人のことを知るために、私は「持っているもの」のことを聞き続けるのだ。
 人によってはなんでもないことかもしれないし、「なんだこいつめんどくせえやつだな」と思っていただいても当然だと思う。だけどモノには「語らずに語る」パワーがあるし、ここまでその人の持ち物に興味がなくても、その空間を形作るバイブスは、そういう小さなディテールの集合体でもある。この「語られることのない文脈」は、少なからずその「ひととなり」が現れるのだ。
 「神は細部に宿る」
 あなたの持っているもの、家にあるもの、その組み合わせが「あなた」というキャラクターを語るものでもあるのだ。

こういった考えで、身の回りの持ち物を極端に減らしだしたのもあって、個人的に購入するものもほとんどなくなり、今まで買ったもので過ごしていて、結構それで満足していた。

それはそれで良かったのだけれど、このやり方って、ある程度情報を遮断して、購入する際も自分の「知っている世界」からモノを選んでいく手法にどうしてもなってしまうので、なかなか新しい価値観に触れることができないなあ。と思い、ものづくりの事業者として少し軌道修正したいと思っていた矢先のオファーだったので、新しい価値観を知りたい!というモチベーションから今回の企画にご一緒させていただくことにしました。

これから何本か記事を書いていきたいと思っているのですが、なにか具体的にモノに対して書くときには、38年間生きていく中で「個人的にいいな」と思う製品の基準を元に考えているので、本題に入る前にこの基準を公開しておきます。(このシリーズは基本的にこの基準で製品を見ていくことになると思います。)

・無駄な装飾がないもの
・意匠それ自体が機能するもの
・作り手の強み(得意な部分)が出ているもの
・作り手の意思が感じられるもの
・受け手次第で色々な解釈ができるもの
・ながく使える工夫がされているもの

(もちろん、これ以外にも説明できない「なんかアガる〜〜〜!!!」みたいな、感性とセンスでこの基準を軽々と突破してくる製品もあるので、全てがこの基準の限りではないのですが…)

次回以降、製品の紹介をしていきたいと思います。

それではよろしくおねがいします!

この記事は、中川政七商店が運営する「大日本市」の企画で、
暮らしの道具を実際に使用し、プロのカタリベとして感想を記事にしています。

バイヤー向け展示会「大日本市」のサイトはこちら
https://www.dainipponichi.jp/shop/pages/exhibitions202105.aspx?utm_source=note.dainipponichi.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=note202106exh
他のカタリベの記事一覧についてはこちら
https://note.dainipponichi.jp/m/ma0cf1e57b52f

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