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【『百人一首』と人生と】じっと我慢して生きているうちに、年老いてしまった……(小野小町)

花のいろは 移りにけりな いたずらに
 わが身世にふる ながめせしまに

小野小町(おののこまち)

【意訳】

 咲き誇っていた桜の花も、すっかり色あせてしまいました。雨が降っているのを眺めている間に……。
 私の容姿も、気がついたらこんなに衰えてしまいました。無駄な時を過ごしている間に……。

【解説】

 小野小町といえば、現代では美人の代名詞になっています。
 クレオパトラ、楊貴妃(ようきひ)と並んで「世界三大美人」といわれることもあるくらいです。
 では、どんな女性だったのでしょうか。
 優れた歌人であり、美人でありながら、不幸な生涯を送ったと伝えられていますが、ハッキリ分かっていません。
 平安時代の中期に編纂された『古今和歌集』には、小野小町の和歌が十八首も選ばれています。
『古今和歌集』の序文に、当時の代表的な歌人の名前が6人あげられていますが、その中に小野小町が入っているのです。この6人を「六歌仙(ろっかせん)」といいます。
 六歌仙の中に、女性は小野小町一人でした。多くの男性から注目されるのは当然だったでしょう。

 小野小町ゆかりの随心院(ずいしんいん・京都市山科区)を訪ねてみました。
 京都市営地下鉄東西線の小野駅で降り、旧奈良街道を南へ5分ほど歩いた所にあります。総門から入ると、広い梅園の南側に「化粧(けわい)の井戸」がありました。この辺りが、小野小町が住んでいた屋敷跡だといわれています。

小野小町が化粧に使う水をくんだ井戸(隨心院)

 京都市が設置した案内板には、こう書かれていました。

 美貌の誉れ高い小野小町は、(中略)三十歳を過ぎたころ宮仕えを辞め小野郷へ戻り、朝夕この水で化粧をこらしたと伝えられています。

 小町が使っていた井戸の跡は、今でも観光名所として保存されているのです。

 表書院の玄関前には、小野小町の歌碑が設置されていました。『百人一首』に選ばれている和歌です。

「花のいろは……」小野小町の歌碑(隨心院)

 歌碑の横には、ある貴公子と小町の伝説が記されていました。

 謡曲「通小町」の前段、即ち深草少将(ふかくさのしょうしょう)が小町の許に百夜通ったという伝説の舞台がここ随心院である。
 その頃小町は現在の随心院の「小町化粧の井」付近に住んでいた。 

謡曲史跡保存会

深草少将からのプロポーズ

 深草少将との間に何があったのでしょうか。伝説の内容を、まとめると、次のとおりです。

 当時、美人と評判の小町に、思いを寄せる男性が多くありました。しかし、プロポーズしようと思っても、男女が簡単に会うことのできない時代です。好意を伝える方法は、手紙か和歌を送るしかありません。貴公子たちは、小町の心をとらえようと、真剣に競い合ったのです。
 その中でも、特に熱心だったのが深草少将でした。
 小町にとっては、男性からの一方的な申し出は迷惑だったに違いありません。しかし、ハッキリ断るのではなく、
「私の住まいを百夜、訪ねてくださったら、お心に従いましょう」
と返事を出しました。
 少将は、大喜びです。
「あなたと結ばれるためならば、何日でも通います」
 彼は、雨の日も、風の日も、雪の日も、夜になると自宅から約5キロの道を歩いて小町の屋敷へ通い始めたのです。
 しかし、百回になるまで小町は会ってくれません。それでも少将は、訪問したあかしに、毎晩、カヤの実を一つずつ、門前に置いていきました。
 苦労して通えば通うほど、小町を恋い慕う思いは、ますます高まっていきます。
 そして九十九日めの夜。
 都は深い雪に覆われていました。
「あと2回で、願いがかなう」
と、心が弾む少将にとって、大雪など物の数ではありません。しかし、これまで、あまりにも無理を重ねてきました。寒さが身にこたえ、体が弱っています。
 雪をかき分け、ようやく小町の屋敷にたどり着くと、疲れ切って倒れてしまったのです。
 音もなく、夜の雪が降り積もります。
 深草少将は、そのまま門前で凍死してしまったのでした。彼の手には九十九個めのカヤの実が、しっかりと握られていたといいます。まさか自分が百日以内に死んでしまうとは、夢にも思っていなかったでしょう。
 深草少将が、九十九回も通ったのに、小町は顔も見せませんでした。世間からは、「なんて冷たい女性だ」と非難されるようになったといいます。

千通を超えるラブレター

 随心院の東側には、「小町文塚(こまちふみづか)」がありました。
 小町のもとには、当時の貴公子たちから、千通を超える恋文が届いたと伝えられています。それらを埋めた場所が、この文塚なのです。

小町が千通の恋文を埋めた文塚(隨心院)

 ラブレターが千通も……。
 その応対だけで、小町は疲れ果てていたのではないでしょうか。
 このような経緯を知って、
「花のいろは 移りにけりな……」
の歌を読むと、
「まるで、雨の日が続いているように心が暗くなるわ。むなしくて、ぼーっと考え事をしているうちに、こんなに年月が過ぎてしまった……」
と嘆いている小町の姿が浮かんでくるようです。

心細くて、つらい日々……

『古今和歌集』から、小野小町の歌をもう一首、紹介しましょう。
 ある男性が、地方官として三河(現在の愛知県)へ赴任する時、
「私と一緒に行きませんか」
と小町を誘ったのです。
 彼女は、次のような歌を返しました。

わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて
 誘う水あらば いなむとぞ思う

(意訳)
 心細くて、つらい日々を送っていますので、もう、わが身が嫌になってしまいました。根のない浮き草は、水に誘われれば、どこへでも流れていきます。私も誘ってくださる方があれば、どこにでも流れてお供をしようと思います。

 小町とこの男性の関係は分かりません。
 歌人として名声を得た小町が、都を離れる気持ちになるまでには、人には言えない苦しみが、たくさんあったのでしょう。じっと我慢してきた思いが、この歌から伝わってくるようです。

隨心院の梅園

小野小町
 生没年不詳。
 平安時代前期の女流歌人。

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