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【『百人一首』と人生と】私の苦しみなんて、誰も分かってくれないわ(二条院讃岐)
わが袖は 潮干(しおひ)に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし
【意訳】
誰も知らないでしょうが、私の袖(そで)は、涙で乾(かわ)く間もありません。
それは、引き潮になっても海中に沈んだまま姿を見せない、沖合(おきあい)の石と同じなのです。
【解説】
作者の二条院讃岐は、宇治橋(うじばし)の合戦で平家に敗れた源頼政(みなもとのよりまさ)の娘です。
この歌は、人には言えない恋の苦しみを歌ったものとされています。
しかし恋に限らず、苦しみを抱え、孤独に耐えて生きている私たちの姿を表している、といえるのではないでしょうか。
「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の」
作者は、私の衣(ころも)の袖は、沖合に沈んでいる石と同じだ、と意表を突く例えを使っています。沖合の石は海水でぬれているように、私の衣の袖は涙でぬれているのです。
「潮干に見えぬ」
しかも沖合の石は、干潮になって潮が引いても、海面に姿を見せません。海の底に沈んでいる石に、「乾く」ということがないように、悲しみを抱えている私には、涙がかれることはないのです。
「人こそ知らね」
沖合の海底に、どんな石があるか、誰も知りません。
ちょうどそのように、私が苦しんでいることなんて、誰も知らないでしょう。誰かに言ったって、分かってもらえることでもありません。心の奥に、すべてをしまって、私は生きていきます。
何の悩みもないように振る舞って、明るく生きている人でも、二条院讃岐と同じように、心が涙でぬれることが多いのではないでしょうか。
この歌を詠(よ)んでから、二条院讃岐は「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになったといいます。それほど「沖の石」の例えに共感する人が多かったのです。
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二条院讃岐
1141年頃から1217年頃。
源頼政の娘。