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RUNNIN' AWAY / SLY & THE FAMILY STONE

新卒のときにモラトリアム過剰で就職活動をロクにせず、3月に入ってからやばい、とBeing(当時まだリクルートがやってた分厚い就職情報誌)でテキトーに見つけた零細繊維商社に社長面接一発(社長が一方的にしゃべってただけ)で入社後、ほんとはペルーに、チチカカ湖のほとりに行きたかったのに、いきなりインド駐在を命じられ、現地法人の代表取締役に就任し、日々賄賂もコミコミの手形を総額3000万円くらい切りまくって、シンガポールから中古のJUKIのミシン輸入したり、経済特区の工場跡地買ったり、弁護士と会計士と打ち合わせを繰り返し、補助金取ったり、約款作ったり、賄賂取られたり、ぼったくりリキシャーのドライバーとケンカしてたら近隣仲間ドライバーにあれよあれよと囲まれて殴られまくったり、カレーに飽きたり、ビリヤニにもサモサにも飽きたり、毎朝パパイヤ食べたり、社長が大量に送ってきたうまくもなんともないチキンラーメンの新しい食べかたを開発したり、会社が用意した4LDKに同居してた縫製技術者のおじさんと一緒に郊外のビーチリゾートに忍び込んでロブスター食べてトロピカルドリンク飲んで浅瀬で浮かんで顔面だけ水面に浮かべたり、してたのも、もう19年前。そう、それは2001年。ある暑い日、あ、毎日暑かったか、暑かったが、あれは3月。日本にいる二代目ボンボンのワンマン社長と、インドで先に縫製の会社を作って提携してた元社員と、新事業を手伝ってくれてたインド人アシスタントとの間で完全に三つ巴の餌食になって、毎朝顔を合わせては笑顔でmoney! money!と寄ってきてすっかり顔見知りになった、一張羅の埃まみれの白いドレス姿の少女に、物凄い逡巡しながらno! no!と叫んで振り切って、1時間くらい目に涙を溜めながら歩いて、見つけたピザハットで、インドならではの、ピザトーストみたいなピザ貪って、家に帰ってきたら停電で、暑くて眠れず、窓の外の熱帯っぽい樹木を眺めながら、向かい側の建築中のマンションのレンガ積みが全く進んでねえな、インドのサグラダ・ファミリアかよ、とひとりごちて。という延べ約一年過ごしたチェンナイのアナ・ナガールという割と高級住宅街に、空港から向かう、タタ財閥の名車に揺られながら、バックミラーにぶら下がったガネーシャが揺ら揺ら揺れるのをぼんやり眺めながら、カーラジオから、途切れ途切れ流れた曲は、タイトルを英訳すればレット・イット・ビー。ホワットエヴァー・ウィル・ビー、ウィル・ビーでかれこれ19年やってきて、自粛モードに煽られ、Amazonプライムで見つけたチェンナイが舞台の映画が『ピザ!』。原題は『カラスの卵』。

鶏の卵が食べられない子供たちがカラスの巣を荒らすというエピソードが印象的で、観終えてストリートビューで当時住んでた家とか近所のスーパーとか、赤い目でピザトーストを頬張ったピザハットとか探しても見つからず、もやもやした気分で。部屋の灯りを消して、寝た。あの停電の夜を思い。あの翌朝、アシスタントからの電話で起こされ「キムール(キムラの発音のインド訛りが定着してしまった)、テレビをつけろ。アメリカが大変だ」というので、テレビをつけた。巨大なビルに飛行機が突っ込む映像が流れていたあの年の3月11日。そして、寝不足の目を擦りながら、悪路で擦り減った靴を履いた。

その後、ある暑い日、パキスタンとの関係がこじれ、領事館から電話がかかってきて「危ないのではやく帰れ」と言われて、帰国し、いろいろ考えることもあり、何にも先は決まってないのに会社をやめました。結果全部から逃げるようになってしまった。あの当時お世話になった現地提携会社の社長も、いろいろサポートしてくれた総務のひとも、ファンキーだった営業トップの人も、いまやみんな死んだ。きっと縫製技術者のひとも死んでるだろう。19年前だもんな。エリートアシスタントのラヴィは今ごろどっかで社長でもやってるんだろうか。

いやー、音楽と本と映画と、あれやこれや、愛や恋や、ほんとにすばらしいですよね。それでは聴いてください、SHIRELLESで"QUE SERA SERA"、と思いきや、"QUE SERA SERA"なら、SLY & THE FAMILY STONEバージョンの方が、いいか、と思いきや、スライの一番好きなポップ・チューン"RUNNIN' AWAY"でおやすみなさい、お相手はきむらでした。

hehehehe


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