傷付けること、弱者であること。
相手を慮って話す。
母と姉は家族相手にそれをしない人だ。
耳障りのいいことだけ話すきょうだいなんて偽りだと私に言った。
私が慮っていることを知らないことに驚いた。
傷付けて、傷付く方が悪いと言った。
私に安息の地はない。
父に似た私をふたりは酷く嫌う。
父に似た所を探しては嘲笑う。
その姿を醜いと言ってしまえば楽になれるのか。
ふたりはよく似ていると言ってしまえば楽になれるのか。
姉に、あんたになにを言おうが私の勝手だ、それを聞いてあんたがなにを思おうが勝手であるのと同じことだ。と言われた。
姉とは少し歳が離れており、小さい頃は随分泣かされた。力の差と知識の差を否応なしに思い知らされた。
今、私が大人になって上手くやれたつもりでいた。なのに寝首をかかれた気がした。
力は私の方が強い。知識だって方面が違うだけで大差ない。なのにこれほどまでに私の根底が揺らぎ傷付いたのは、圧倒的な支配力の差だった。
自分が正しいと言い切れる自信が私にはない。私は支配される側の人間だったからだ。
姉は、言うのは自由だと言った。
私がなにを思うのも自由だと。
けれど私に「聞かない自由はない」と言った。何故なら姉が「言いたいから」だ。
そんなに繊細に生きていたら、すぐなにかに潰されて駄目になると、姉は凄んだ。
心配を装って私を踏みつける姉はどんな顔をしているのだろう。地面からでは分からない。
これを書きながら思い出したことがある。
姉に一度だけ、カミングアウトを試みたことがある。
私、女の子も好きかもしれない。
予防線を張った。
けれど姉は、勘違いよと言った。
「あんた、女の子に欲情する?」
夜だった。声を震わせないように泣いた。
するわとは言わせてもらえなかった。
夜の街をひたすら歩いた。このまま車道に突っ込んでしまおうと二度思った。
あのとき、私は返事をする自由を奪われた。
私は、人と違うことを許されたい。
前線に立って、違うことは悪ではないと言わない人間に、そんな資格はないのだろうか。
子供が好きでも、産まないことは罪なのか。
親を大事に思っていても、結婚しないのは親不孝なのか。
周りが躊躇なく踏みつける繊細を、守ってやりたいと思うのは弱者なのか。
弱者であるのはいけないことなのか。
誰に守ってもらわなくてもいい。泣いても泣いても自分で抱えていくから、大事にしたいと思うのはいけないことなのだろうか。
自分のことが大好きだと言える人間になりたい。
でもそうなるにはもう遅い。
だからせめて、そのままでいいと今の自分を守ってやりたい。
他者に愛されなくても、自身愛せなくても、自分を大事にしてやりたい。