親に愛されないと感じている人へ。(或いはずっと愛して欲しかったと思っている人へ)
ママ、先に帰るから。
そう言われてから、駄々を捏ねたことは一度もない。
母は、私を捨てる機会をずっと探しているんじゃないかと感じていた。
幼い頃から家族の団らん中にそっと抜け出して、トイレで声を圧し殺して泣いていた。
母よ、なぜ私を生んだのか。
愛されないことが悲しかった。愛される術を探していた。兄にも姉にもないものを探していた。
第三子、次女。
私は要らぬ子なのだと感じていた。
けれど、義務教育の耳障りの良い言葉が私に語りかける。子供を不要に思う親など誰一人いませんと。皆子供は愛されて生まれてきたのですと。
信じていた。きっと私は愛されていると。
ひとり、地元へ残って就職した。
すると、母は私を求めた。
けれど、兄が、姉が戻ればまた、私は要らぬ子へと還る。
所詮は代替品でしかない。
母を思って料理を始めた。家のことを覚えた。母の味、近所回り、昔ながらのしきたり。
けれど、なにも知らない、なにもしない兄と姉は変わらず愛される。
ただ無条件に、一心に愛情を受ける様を端から見ては心を潰した。何度も土足で踏みつけられるような気持ちだった。
初めての子でもなければ家督を継ぐ子供でもない。
そして特別可愛くもなければ賢くもない。三番目など決して必要ではなかったのだ。
必ず要る。
必要とされたいと切に願った。
仕事はうまくいっていた。
上司にも可愛がられた。そこには私が必要だった。
望まれていることが何か分かる。求められていることが言葉にされずとも分かる。
だって私は愛されたかった。誰が何を望むのか分からないはずはない。自分ができることならなんだってすぐにやった。評価も給与もそれに伴ってきた。
23を過ぎた辺りから、母はしきりにあることを聞く。
誰かいい人はいないのか。
いい人ってなんだと聞いた。
好きなひと、好いてくれるひとよと。
あぁ、愛の話か。
愛され方を教えてくれなかった人からそんなことを聞くとは思いもよらなかった。
もう縛られるのを止めようと預金通帳の桁が増えたのを機会に家を出た。
ママ、先に帰るから。
私はもう構わない。
足りないと思うのはやめた。
捨ててくれて良いよ。私もあなたを捨てる準備はしてきたつもり。
その絶望に染まった顔を見て、ようやく私は安堵した。
幼い頃の私をやっと抱き締めてやれた気がした。あの頃母にして欲しかったこと。
その絶望の表情は、きっとずっと私が母に向けていたのに、母はそれに気付かなかった。だって私などみていなかったのだから。
私はもう母の言葉に、態度に、行動に、心を潰したりはしない。踏みにじられるようなことは決してない。
母を求めない。
母に承認されなくても良い。
母は兄を愛せば良い。姉を愛せば良い。
だから私も、母を愛さなくても良い。
これで自由になったのだ。
願わくばこれが、愛されないと心を潰す誰かの解になりますように。
そしてこれから生を受けるすべての子供が、どうか世界から愛されますように。