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絵が描けない子供だった人へ。(或いは「ひとりだけ出来ない」と苦しんでいる人へ)

絵を描くことが苦手だ。


自由に伸び伸び描けばいいのよと幼稚園の先生は言ったけれど、教室の後ろに貼り出されると聞いてクレヨンを持てなくなった。
絵を描くのが苦手だった。
正解が分からない、決まった楽譜もない。
真っ白な紙が恐怖だった。
困る先生を前に、申し訳なさに息を詰まらせながら、それでも描くことが出来なかった。

家で、チラシの裏にお花を描く。その隣に自分を描く。きっと誰もがやったことだ。
それを見て、兄が笑う。
「下手くそ」
こんなことはきっと何処の家庭にもあることだ。私は母に助けを求めた。母は言った。
「兄の言う通りよ、お花もあなたもこう描くの」
そしてさらさらとチューリップを描いた。その隣に写実的な私を描いた。兄は感嘆の声を上げて自分もペンを握った。絵の私は笑っていたが、言い表せない孤独を感じた。

幼稚園の絵は、結局外で遊ぶ時間にひとり教室に残って描いた。
先生に頼み込んで友達の絵を見せてもらった。同じ色で、同じ人を、同じ木を、同じように描いた。
参観日、母は私の絵を見たことを私の前で父に話した。
「サクラちゃんとまるっきり一緒の絵だったわ」
それは失望していたのだと幼心にはっきりと分かった。それでも「絵の下手な私」は周りを見てからでないと描けない子供になった。

母は芸大を出ていた。それが仕事に繋がるわけではなかったけれど、母は絵を描かせることに殊更執着していた。

「目がこんなに大きいわけないでしょう」
「口は線になってる?」
「よく見ないから描けないのよ、腕は何処から生えてるか見て」
「あなたの頭と身体は同じ大きさなの?」

見て、という母の目はギラギラと恐ろしく光り、私は泣いた。すると母は仕方ないといった面持ちで道具を片付けた。
だが、それで済んだのは6才までだった。


小学校に上がると夏休みに絵日記の宿題が出た。兄とプールに行ったことを描こうとした。母に見られないよう、こっそり描いた。私と兄が並んで立っている絵を小さく小さく描いた。あとはこれを水色に塗ればいいと。隠れて描いていたけれど、7才の隠れ場所などたかが知れている。
姉がわざと大きな声で私を叱る。
「こんなに小さく描いたら、なんにも分からないじゃない」

兄も姉も、母に似たのか──それともただ私と違うからのか──絵を描くのが上手だった。特に6つ年の離れた姉は、母によく似ていた。
私を居間へ引っ張り出し、自分のノートにこう描くのだと示した。目を、鼻を、口を、眉を、首を、肩を、写実的に描いていく。描きたくないと言った。そんなの変だと。それに気付いた母が飛んできた。
「変じゃない!絵はこうなの!」
私は泣いた。母に怒鳴られたからじゃない。母は容赦なく鉛筆を握っていた私の手をそのまま握り、力強く描いていく。絵日記の用紙が涙で滲んだ。
泣く私に、泣いたってこう描くんだよと姉が厳しい口調で言った。
兄はそんな私たちを遠目で見てニヤついていた。


夏休み明け、やっぱり壁に貼り出されたそれを見て、死にたくなった。
どれも私とは違う。
ギョロリとした目で鼻筋を濃く、唇を厚く歯を細かく描いた絵は私だけだった。
みんな、腕は顔の横から出ていた。
目は顔の半分くらい大きく、眉はなかったりはみ出していたり、髪は茶色くドレスを着ている子もいた。
決定的に違うのは、どれもこれも楽しそうだった。
涙で滲んでよれた用紙は私のだけだった。


お母さん。
変なのは、あなたが描いた私の絵でした。


あなたの押しつけを6つや7つの私は到底抱えきれなくて、兄や姉の出来たことが私には出来なくて、こんな大人になってまで、思い出しては涙が出ます。
本当は、みんなのように楽しいことを楽しいままに描きたかったです。大きな目に線を引いただけの口で笑った顔を描きたかったです。きっと絵日記に描こうと思ったくらいなので、プールに行ったことは楽しかったと思います。
それでもその楽しさは、あなたの「教育」によって支配され、何にも思い出せません。
あなたがキツく握る私の右手越しの筆圧と、私への失望とあなたの大きすぎた理想だけが私に根深く残っています。

私は大人になってしばらくして、ようやく絵を描くことが少し好きになれました。
誰かに絵を見せて評価されることがなくなって、自分のペンを握られることがない安心を何度も自分に言い聞かせて。

下手でも良いんだと、ようやく自分に言うことが出来ました。

もしも、あなたの絵が私にとっての文だとしたら、いつか出会えるかもしれない未来の子供に私は。

「好きに書いていいのよ」

必ずそう言います。
そして、絵に対しても。

下手だからと子供の「楽しい」という可能性を摘み取ったあなたへ。反面教師として。

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