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赤坂の負けフラグ

たった4人のキャラ設定
シナリオ執筆におけるミニマムなキャラクターはたった4人だ。
意思の強い女性、物分かりの良い異能爺さん、おしゃまな女の子、そして偉そうなことを言って負けフラグを立てる男──この4人、これがスタメンの4人だ。
スタメン4人だけで「芝居の台本」を作る──それが達成できればプロ中のプロを名乗っていいだろうだろう。ちなみに自分自身は芝居台本の経験はないので、そこはプロには至っていない。
実際の業務では、この4人を核にして周囲にキャラクターを付け足していくことにる。
この稿では負けフラグ役について述べていこう。

負けフラグ役登場
本稿の画像を見ていただきたい。これは前職で作った『デモンズゲート』というゲームの一場面である。
設定は昭和10年8月──場所は「大東京市赤坂区」だ。「粋な黒塀、見越しの松に~」と歌にあるような典型的な花街(かがい)である。昭和の終わり近くまで、東京・赤坂はそういう街だった。
我らが山王機関に所属する特務機関員の陸軍中尉喪神風魔が、ナチSS親衛隊ゲルハルト・フォス大佐を迎えている。
実はこの日、フォス大佐の日本就任を祝い、ドイツ大使館が主催する歓迎会が赤坂で開かれることになっていた。そしてこの場面は、フォス大佐が歓迎会会場である日本式「レストラン=料亭」を事前に視察に来た様子である。
歓迎される本人がその場を事前視察する時点でなんだかアウトな感じで、負けフラグ認定臭プンプンなのだが、実はこの場面の主人公は別にいる。

櫻をどりの幟
「組合長さん、櫻をどりの幟(のぼり)があるじゃありませんか!」
「おお、美枝ちゃん、それは名案だ、さっそく寸法を測るとしよう!」
フォス大佐就任歓迎会を開くにあたり、ドイツ大使館、日本国外務省などを経て、最終的に赤坂区区役所総務部長がドイツから送られた旗を手に赤坂三業組合事務所を訪れた。三業組合とは花街を所轄に納める組織で、芸者の置屋、料亭、待合(今で言うホテル)の三業態からなる。
ドイツ側の要件とはナチ党旗を掲揚して歓迎せよとのことだ。ナチのことなので、おそらくは旗の掲出仕様などについて細かなマニュアルがあったはずだ。ナチ党大会で見られるようなT字型の竿に掲げるといった具合に──
しかしそんな都合のいい竿は赤坂の花街にはなく、思案していた組合長は女子事務員の提案を受け入れ、春の「櫻をどり」で用いた幟の残りを流用することにした。だから、この場面の旗竿は日本の幟であり、当然ながら竹製だ──「櫻をどり」の幟こそがこの場面の主役なのである。
もちろん、このくだりはシナリオには登場しない、あくまで設定上での話だ。
(※ちなみにナチの鉤十字の表示はご法度だが黒十字は問題ない。AppStoreに並ぶゲームにもよく登場している)

MR.負けフラグは裸の王様
結局、フォス大佐の歓迎会では、「櫻をどり」の残留物であった幟(のぼり)にナチの旗をぶら下げて挙行されることになる。
竹の幟で歓迎される光景を見て、当時の日本人であればいささかの失笑も禁じえないだろう。なにせ、あのエラそうなナチ将校が「櫻をどり」の余り物の幟で歓迎されているわけだから。
さて、当の本人、つまりはゲルハルト・フォス大佐だが、そんな事情を知る由もない。おそらくは下級爵位を有するであろうフォス大佐は、就任歓迎会で「AKASAKA」の夜を満喫したに違いない。
ただ、このシナリオ、前任者の離任式が盛大に行われ、帝都上空に数機の飛行船まで出る騒ぎだったと伝えている。そこから推するに、ナチ党内でさえフォス大佐の人望はそれほどのものでもなかったのだろう。知らぬは本人ばかりなり──
はからずも日独一致して、フォス大佐の負けフラグを用立てした格好だ。
ちなみにゲーム自体は「大人の事情」が原因で、サービス開始から1年を待たずして終了になった。

人間を描くということ
今年、前作『クーロンズ・ゲート』のリリースから25年目となる。25年以上、ゲームデザイン、ゲームシナリオの仕事を継続していてプロでなければ何かがおかしい。
そんなプロとして、ネームドキャラクターの設定について自分に課している絶対的なルールがある:
 1.なぜその人物はそこにいるのか?
 2.その人物のバックボーンはどういったものなのか?
この設定を突き詰めてフィックスしないと何も始まらない。まさに「キャラクター設定」の一丁目一番地に相当する。
つまりは「人間を描く」という、分筆界では当たり前のことを、ゲームクリエイティブの正面に据えることができるようになった。ゲーム処女作『クーロンズ・ゲート』では成し得なかったことで、それが強い反面教師にもなっていたのも事実だ。
とりわけ「負けフラグ担当」の役を描くとき、なぜその人物はそんなにもエラそうなのかについてリアリティを用意しなければならない。その点、ナチSS親衛隊将校は楽だ。バックボーンに紙幅を費やす必要がないからだ。

勇者だけでは成立しない
学校などで「ゲーム企画」の講義を行うとき、「まず敵から考えろ」ということを口を酸っぱくして言っている。そうしないと、意味不明の勇者がわんさか量産されることになるからだ。
本来、勇者の目的は敵の悪行を防ぐことにあるので、まずは敵を設定しないとどうにもならない。ゲームの主人公はとにかく専守防衛に徹するのである。
ただ敵の設定については、この30年来、つまりは冷戦崩壊後、やたらと難しくなった。かつての冷戦時代、神経に響くような緊張感は確かにあった。「敵だ!」と聞くだけでビクッとするような──
しかし今やそれらはことごとく失われた。つまり敵がいなくなったに等しいわけだ。そんな時代にあってなお、プレイヤーは勇者となって問題解決しなければならない。
JRPGの主人公も、洋ゲーFPSの歩兵も、同じ「勇者」には変わりがない。敵失の中の勇者──そんな状況下で小さな波紋を起こすのが、予定調和的に負けフラグを立てる「残念な」キャラクターたちである。地味ながら必須のバイプレイヤーであり、その存在は期待を裏切らずにシナリオに緩やかな抑揚を与えてくれる。
今後も活きのいい負けフラグ屋を描き続けることにするとしよう:
「私は僥倖を得たのだ──」(負け認定!)

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