クーロン企画30年
すべての始まり──1994年
来年、2024年は『クーロンズ・ゲート』企画30周年を迎える。自画自賛モードを承知で言うなら唯一無二の世界観とも称されるが、最初からそれが見えていたわけではもちろんなかった。
Onyxが火を吹くほどに
1993年末に異動した部署はSMEニューメディア室だ。今や懐かしいマルチメディアに向き合う部署だ。
そこであたかも牢屋主のように鎮座ましましていたのが、当時、世界最高峰と呼び名の高いシリコングラフィックス(SGI)社製のCG専用マシン、Onyx(オニキス)だった。映画『ロスト・チルドレン』でノミが大活躍するシーンでも使用されたCG映像制作に特化したマシンだ。この1億円もするOnyxが火を吹くくらいにフル稼働させて何かコンテンツを作る、それが部署のチームオーダーだった。
たった6人の小さな部署になぜそんな高額マシンがあったのか──それはオトナの事情が絡むので別の機会に。
まずはマップ探し
CGが最も苦手なのは「汚れと歪み」である。それは昔も今も同じだ。Blenderの起動直後に表示される生ポリゴンのキューブなんかは30年前からでもパソコンで作成可能だった。その対極、つまり汚れと歪みが満載となるシチュエーション──Onyxが火を吹くようなコンテンツの舞台はどこなのか──そのマップ探しが最初のタスクだった。
まず目をつけたのがモロッコの旧市街だ。カスバと呼ばれる旧市街、猥雑なバザールの様子など、アラブの浪漫を夢見て『プリンス・オブ・ペルシャ』をハイエンド化したようなゲームはどうだろうか──(部署的にアクション設計は端から無理だったのだが──)
ただリアリティを追求するには、アラブ的世界観はあまりにもグラフィック資料がなさすぎた。都内の大型書店を何軒も周り、神田古書店街を彷徨い……結局、観光資料程度のものしか入手できなかった。
ふと「アヘン戦争」というワードが脳内噴出して、そこからダイレクトに九龍城砦へと繋がった。すでに九龍城砦自体は取り壊されていたが、まだなんとかなるだろう──1994年4月にクリエイターチームで香港取材に赴いた。
このときに受けた強烈なインパクトが、結局、『クーロンズ・ゲート』のリリースまで部署メンバーをして微熱状態にさせ続けることになる。それから30年が経過しようとしている。
九龍城砦が主役
開発着手の前年、『MYST』というアドベンチャーゲームに没頭していた。リリース当初はMAC専用のマイナーゲームだった。なにしろハイパーカードを超拡張して制作されたシロモノだ。ゲームシステムはクリック&ムーブ型、当然1人称視点だ。
当時の1人称ゲームは、まったくもって完全なる1人称であり、FPSなども手も足もない透明人間のような"主人公"が普通だった。クーロンでも同じシステムを採用することになる。
シナリオでは超級風水師などとして陰界に派遣されるが、要はプレイヤー視点を獲得しての体験がベースになる。
このようにシステム上では、主人公=プレイヤーなのだが、その実存性は極めて希薄だ。反して、圧倒的な存在感を示していたのはデジタル空間に再築されつつあった九龍城砦だった。制作に入ったばかりの頃、まだ片鱗をのぞかせているだけの時点ですべてを語ってしまうようなオーラを放つ。これにはさすがに抗えず、事実上、ダンジョンが主役という風変わりなゲーム制作に取り組むことになる。
そんな九龍城砦から紡がれるものがたくさんあった。
言葉にしたのがシナリオ、音楽にしたのがサウンドスケープ、狂言回しにしたのがキャラクター──それぞれが「クーロン」の、ある意味、使い魔的な存在として自らの役割を懸命に演じることになった。要するに「クーロン様」がOnyxの上に、スタッフたちの上にどよ~んと君臨していたということだ。
リリース当時から蓜島さんの音楽をBGMと呼ばなかったのはこうした理由による。
中上健次と南方熊楠
名も知れぬ路地の奥に咲き誇る夏扶養の花。オリュウノオバは産婆であり、夫は僧侶──生と死、エロスとタナトスの象徴が絡み合うこうした路地裏の世界観は中上健次作品のプラットフォームだ。作品を支えるプラットフォームは、フォークナーのヨクナパトーファ郡であり、キングのキャッスルロックでもある。
しかし紀州の路地はただただ陋巷(ろうこう)であり、他ならぬ湿気を漂わす。その因習的な「土地の呪縛を逃れることのできない人間たちの思弁と葛藤」──それもファンタジーと称してもいいくらいのフィクション性を備えて描く。中上健次作品の真骨頂だろう。
クーロンの世界観やキャラクター設定を手掛けるに際して、中上健次作品は大いなる参考書だった。クーロンならではの路人という用語もこうした経緯で生まれたわけだ。
もう一人、影響を受けた人物を挙げるなら南方熊楠だろうか。中上健次と生きた時代は異なるものの、土地に向き合い、その滋養をほしいままに造形したかのような粘菌の妖力、それはクーロンの中でゼリー状をした異形のキャラクターとして蘇った。
中上健次、南方熊楠──奇しくも紀州出の2人が呈した色彩が、まるで「ロジフィリア」のような性癖を喚起して九龍城砦をさまざまに染め上げていくことになった。
余談ながら述べておくと、南方熊楠の博覧強記を支えたフェティシズムは時代を下って江戸川乱歩に繋がり、前職で手掛けた『デモンズゲート』の世界観でも勢いよく具現化することになる。
これらのすべては、1994年に香港へと赴いたときに得た原体験──路地裏に立ち込める得も言われぬ濛気、あるいは残留思念のようなものとの接触体験からもたらされていることを付け加えておこう。