墓碑銘を求めて
クーロンR.I.P.──?
『クーロンズ・ゲート R.I.P.』──これが、2022年、リリース25周年記念事業を統括するコンセプトだった。要するにクーロンをこの世から葬り去る──
確かに、いまさらPSゲームを持ち上げても仕方がない。懐古趣味的にクーロンを扱うのはこれで終わりにしよう──つまりクーロンR.I.P.を提起していたのだ。
R.I.P.イメージを大きくあしらって記念事業のキービジュアルにしてしまおうか、などと協議もしていた。
ジブンクーロンの再定義
『クーロンズ・ゲート』というゲームコンテンツのみに向き合うと、たしかにオワコンであることは間違いない。しかし、この四半世紀、ある意味、世の中がクーロンに追いつき追い越した──やや自画自賛的ながら、そんな思いもある。
九龍城砦は廃墟ではないが、今では大型書店に行けば必ずと言っていいほど廃墟本コーナーがある。温泉廃墟をドローンで空撮した動画も人気を集めている。つまりは巷にクーロン的な世界観が滲出し、そのまま居座ってしまったのだ。
そしてクーロンユーザーに目を向けると、原体験としてのクーロンと、自分の周囲で散見されるクーロン的な事象、その双方を思うままに行き来しているように思えた。リゾーム用語で表すと「クーロン的思念の還流」が起きているということだ。
そこに名を付けるなら「ジブンクーロン」──これは既出語なのだが、しっかり再定義すればいいだろう。こうして、25周年事業のコンセプトは「ジブンクーロン」に決まった。
俺クーロン、私クーロン
元々クーロンはユーザーの中に腫瘍的なナニかを生みやすいコンテンツである。その意味では「俺クーロン、私クーロン」がまず誕生する。そこに手を加えることは、たとえゲーム原作者であっても難しい。そのことはリリース直後から肌で感じていた。ユーザーが思い思いの「ジブンクーロン」を育み始めていたからだ。クーロン2の話が出なかったのはそういった事情もあった。作ろうにも作りようがなかったのだ。
名状しがたい腫瘍の疼きが活発に体の内と外とを巡っている──時とともに育まれたジブンクーロン現象はそんなふうに捉えることができるだろう。
であるなら、もう25年前のゲームの中だけににとどまっている必要はない。ジブンクーロンの奔流に混ざることさえできれば、どこで何をやろうとも構わない。そして幸いかな、クーロン的な存在は、いまや「陽界」のそこいら中に存在している。
企画30周年
来年、2024年、クーロン企画立ち上げ30周年を迎える。
30年前、企画立案に先立ち、空気感を会得するために香港に出向いた。すでに九龍城砦は取り壊された後だったが、現地コーディネーターが超絶優秀で、半ば面白がるようにしてクーロンチックなディープスポットばかり案内してくれた。
現地で体に染み込ませた路地裏のフィーリングを0.001ppmたりとも蒸散させるものかという意気込みで、2年半ほどの制作期間を走り抜けた。
こうした振り返りから、1994年4月の香港行きこそがクーロンを考えるにあたり原点であり肝要な位置を占めていると言える。
イメージの再現
クーロン的路地裏には、さまざまなものが染み込んでいる。それは現地で体感したことであり、匂い、湿度、それらを総合する空気感、さらに音──蓜島邦明さんのサウンドをBGMではなくサウンドスケープと呼称するのも、クーロン的路地裏の再現を企図するからだ。
それら路地裏の壁や床に染み込んだもの、これまたリゾーム的に言うなら残留思念そのものである。はたして思念とは──
『都会の幽気』という小説がある。曰く、「或る垣根には、肺を病む老人が血を吐いただろう。或る門口には、恵みを受けた放浪者が感謝の涙に咽んだだろう。或る木影には、糊口に窮した失業者が悲憤の拳を握りしめただろう」──(『都会の幽気』豊島与志雄、1924年)
1924年、大正13年──関東大震災の翌年、まだ帝都は復興への道半ばだ。震災でモダーンな文明はことごとく崩壊したが、そこかしこに近世の闇は残っていた。そういうところにこそ「幽気」が染み付く。むべなるかな。
1994年の墓碑銘
「残念」という言葉は、商店街の福引に外れて立ち去るようなことではなく、その場に強く念を残すことだ。
念とは人が去ってもなお残る──その念、悪意を帯びるほどに「質量」を増していく。これはリゾームの設定だが、先哲の警句にもそれは残されている。
善行は水に記される
悪行は真鍮に刻まれる
時空を超えて質量の大きな邪念がイキリ立ってくる、これがリゾーム(地下茎)の設定の基礎だ。つまりイーブルマインドこそが時空の壁を突き抜けて渡来するということだ。
クーロン企画立案30年を目前にして、ようやく取りまとめた世界観であった。
改めて1994年に撮影した香港写真を見返すに、湿り気を含んだ路地に面した壁や床に、様々な思念が染み込んでいるさまを見て取るかのようだ。そこをなんとかカタチにしたい──『クーロンズリゾーム』のゲームデザインはその意図を得て始まった。
もちろんフィクションコンテンツなので、陰界ならではの歪んだ進化を妄想豊かに取り込んではいるが、この猥雑とカオスは取りも直さず、この先の香港からは真っ先に消し去られていく性質のものであるはずだ。
ある意味、1994香港の墓碑銘を描こうとしている──
そう、ここにこそクーロンR.I.P.の帰着点があったと言えるだろう。