陰があるから光に気づく
息詰まりを感じていた日々に、森のなかを歩くと、自然と息が整い心が開かれる感覚が訪れます。
身体が息をしたいと無意識のうちに森を求めるのかもしれません。
森のなかを一人で歩いたり、佇んでいたりするとき、自然と自分との対話が始まります。
普段の仕事や生活では抑えていた心身の感覚が、ゆったりほぐれて気づかないふりをしてきた感覚に気づくということかもしれません。
固定的な環境や人間関係のなかだけでは、一面的な見方しかできません。自分が動くことで見えたり感じたりするものがあるものです。動くことで心身がほぐれていくからかもしれません。
森のなかでも特に好きなのは、さまざまな木漏れ日に出会えることです。
木漏れ日という言葉は外国語で適切に翻訳できる単語はなく、日本語にしかない言葉と聞いたことがあります。
木漏れ日は、木や葉を通して日の光が差し込む姿が印象的です。むしろ日の光だけでは直視できず、木の陰があるからこそ木漏れ日が見えるのです。
これまで、陰はよくないもの陽がいいものと無意識のうちに感じていた自分がいました。
木漏れ日のスポットライトに照らされる飛び立つ鶴のような新芽を見つけました。
切り株の舞台から生命が飛び立つように。
陰によって光に気づくことができた
森歩きの一場面でした。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。